らくメンタルの教科書

「ガラスめんたる」から「らく(楽)めんたる」へ。実体験を中心にまとめています。

傷つきまくった自己評価のもどし方

自分のやったことについて、
他人からとやかく言われるの好きですか?
嫌いですか?
気にしない?

僕は大嫌いなのに、
とやかく言われるのを気にしていました。


20代の頃は、
出かけるのにすごい時間がかかる事がありました。


服を着て鏡の前に立つ。


そのまま出かけても何の問題もないのに、
何故か「違くない?」
と自問自答しはじめる。

何パターンか試してなんとか決めて出かける。


でも部屋を一歩でた途端に突然根拠のない不安が頭を駆け巡る。


靴下が違ったかなー
パンツかな?
髪型?


と一人で着せ替え人形をする。


それだけで10分も15分も時間を使ってしまう。


そして気がつけばギリギリの時間になる。



なんてことが日常茶飯事でした。




まだまだ続きます。


出かけると今度は人の目が気になる。


特に同年代だったと思います。



同年代の男とすれ違う時に、
頭の中でですけど、


「俺の方がいけてる」
とか、
「あ、なんか違ったかも」


と独り言。


それを人と出会うたびに繰り返していました。


渋谷のすぐ近くに住んでいたのでそれはもう大変。



いっつも頭の中で勝手に勝ち負けをつけていました。


もちろんほぼ全勝です(笑)


勝手に自分の基準でやってますからね。



だからその意味では、
救われてましたね。



もし勝つんじゃなくて負けを選んでいたら、2度と表に出られなくなっていたかもしれませんし、もっときつかったと思います。



なぜか勝ちの方を選んでいたので生きてくことができました。



そこは多分ですけど、
遺伝子かと思います。


母親がとても勝ち気な方ですから。



よかったです。


でも、


毎日そんな勝ち負けをやるのって結構やばいって感じですよねー。



20代の自分にお疲れさまです。



前置き長くなりましたが、
最近すごく感じたことを書き起こしておきます。



それは、


人の評価の仕方について。



自分のことでも、
近くにいる人のことでも、
全然知らないTVでみた誰かについてでも。



人の評価の仕方ってどうやって学んだっけなー、



とふと思ったんです。



何故かというと、



僕はさっき書いたように、
人の評価をものすごく感じ取ろうとするタイプだから。



武田友紀さんの、
「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる 「繊細さん」の本



にあるような、



多分僕は繊細さんの感じが結構入ってると思うんです。


つまり色んなことに敏感。



人の目や、
どう感じてるかなー?



といったことを勝手に感じ取ろうとしてしまいます。




いまはあるトレーニングを続けたので、
だいぶコントロールできるようにはなりました。




でもやっぱり知らないうちに自動思考で、さっと頭をよぎることがあります。



自分のことについて、
あれはどうだったかなー、
どう思われたかなーー、
と。



ま、どう思われても、
その相手がいないところでは何も決着つかないんですけどね。



そこで、
そういえばと思ったんです。



そういった



「評価」



の仕方って、
いつの間にどうやって身についたんだろー。



って。



なぜなら、
もし人の目を気にするとか、
繊細さんのように敏感肌だったとしてもですよ、



「いい評価の仕方をする癖」
がついていれば、



自己評価するたびに、
誰かの目が気になるたび、
勝手にいい評価を自分でしてあげる事ができますよね。




すると、

 


ずっと自分を褒めたり認めたりし続けることができるはず。



だったら、



「評価の仕方の癖」



がいい癖だったらいい。



そこで、


自分が使っている評価の仕方



をコントロールするためにも、
自分がどう評価してるのか?



を考えていたら、



評価の癖ってどう身に着くんだろ?



と思ったわけです。




そして前置きが長い割にまとめは短いです。




さんざん学校で、


 
誰が決めたか知らない「成績」



というもので一律で評価され続けた。




人によってそれがどう役立つかはそれぞれ違うのに。



そして、



失礼を承知でわかりやすくするためにあえての表現ですが、



あんた誰よ。


という人に
「この子はこういうところがよくない。直した方がいい。あれはやめさせた方がいい」



いろんなことを通信簿に書かれて、




後生大事にそれが植え付けられてしまう。




しかも親まで、そうだそうだ、と子供を全力で守ってあげられない。



すごいことですよね。



幼少期から年取って自分で稼いでいくようになるまでの間、



ずーーーっと自分が選んだのではない、



「評価」



というものに身を委ね続けて育っていくわけです。



逆に、

学校にろくに行かなかった人、
いったけど自らの意思で見切りをつけた人、




の中から大人物が現れたり、



社長やってる方に中卒や高卒が多い、


というのもなんか納得が行く気がします。



評価が自分軸。


誰かにその評価を傷つけられずに大人になれた。


それは元気な大人になりますよね。



でもそうではない、評価されまくり、傷つきまくって大人になった僕たちはどうすればいいののか。



私なりに色々試してきたことをまとめてみたいと思います。



まとまったらここにも書き残そうと思います。




きょうも最後までお読みくださり、
本当にありがとうございます。



良いお年を。


皆さんの2021年がさらに素晴らしい一年になることをお祈り申し上げます。



ZiHiKiSha