らくメンタルの教科書

「ガラスめんたる」から「らく(楽)めんたる」へ。実体験を中心にまとめています。

褒められるのが怖い。

こんばんは。私のブログに目を通してくださり

ありがとうございます。

 

このブログは「自己否定」ということをテーマにしています。

また「自己否定」がどう人生に影響を与えるのか?

などを実体験や学んだこと、感じたことを通して、

日記として書き記していくことで、

似たような悩みや問題を抱えている方の少しでも役に立てればと、

自己開示もしながら書かせて頂いています。

 

もともとはこういうことをするのは苦手でした。

 

当然といえば当然ですよね。

なぜなら、

「自己否定」で思考する癖があったわけですから。

 

なぜ自己否定で思考する癖があると、

ブログ等で自分のことを出すのが嫌なのか。

 

 

きっと承認欲だと思います。

 

 

自分を否定していますから、

自分のことを承認出来ていません。

 

だからがっつり承認欲が枯渇するそうです。

 

自分に対する承認欲が枯渇して、

カラカラの状態です。

 

 

普通によくある例えでいえば、

砂漠の真ん中。

喉がもうカラカラ。

水飲み場まではまだ数十キロもある。

そこまでは歩いて行くしかない。

残された水は水筒のなかのわずか数滴。

 

であれば、

この数滴がものすごく貴重になってきますよね。

何物にも代えがたいとても大切なものです。

 

そんな大切なものを

ミスミス知らない人に奪われたくないですよね。

 

もしそんなやからが近くにいたとしたら、

ガッツリ守りますよね。

見つからないように隠しますよね。

 

 

そういう状態が承認欲でも起きます。

 

 

つまり、

自分の承認欲がカラカラ。

これいじょう何かが起きたらと思うと怖くてしょうがない。

 

 

そういう状態で、

自分のことをオープンにするなんて。。。

 

 

怖くてできるものじゃないと思います。

 

 

下手に自分のことを表に出したら、

人になんて思われるかわからない。

 

 

恐ろしいですね。

 

 

だから自分のことをオープンにする場が怖くてしょうがない。

 

 

たとえ本名を明かさないにしても。

とにかく傷つきたくない。

 

そんな傾向が「自己否定型」だと多いように思います。

 

 

 

かといって自己否定型が全部良くないかというとそういうわけではないとも思います。

 

 

それも一つの役割なのかもしれません。

またそういう生き方なのかもしれません。

 

 

ただ出来ることなら幸せな気持ちをたくさん感じて生きたいです。

 

 

自分の身でたくさん経験してきましたが、

「自己否定をしながら幸せが増えていった」

という記憶はないです。

 

 

さらには自己否定型の人たちを呼び寄せます。

そういう人たちと一緒にいると楽だからです。

 

 

そしてそのまま過ごしていると、

なんと自己否定していることすら忘れてしまいます。

 

 

もっと幸せな感じでいられるのに、

その逆の環境や世界観が当然に見えてしまいます。

 

 

自己否定が強い場合、

自己否定ではとどまりません。

それは他者否定や他者攻撃へと移ります。

 

 

つまり自己否定型の人たちの集まりは、

他者攻撃をよくする人たちの集まりにもなりやすいです。

 

怖いです。

怖かったです。

 

他者攻撃をしていることに気が付かないんですから。

しかも、

他者攻撃をしていることが正義だとしか感じられなくなっていますから。

 

 

そんな人たちの集まりになっていくんです。

 

 

完全に見えなくなっているんです。

人のことを悪く言わないでも生きていられるのに。

 

なのに人のことを悪く言うのはごく当たり前のことになってしまう。

 

様々なメディアで他者批判をしているものを見て、

知らずしらず自分も乗っかってしまう。

自ら直接確かめたわけでもないのに。

 

 

 

この状態に陥ってしまった人が、

気づくことはあるのでしょうか。

 

 

私はどっぷり浸かっていました。

(今もそうなのかもしれないし、

自分は抜け出したとか言うのは怖いし、

自己観察を続けようと思っています)

 

 

 

はっきり言って、

どっぷり浸かっていた当時の私に誰かが何を言っても

 

 

気づかない

 

 

と思います。

それどころか指摘してきた人を

心のなかで完全に否定すると思います。

 

 

お前に何がわかっているんだ?と。

 

 

人生において人の批判なんて本当はまったくいらないものだと思います。

人を否定するなんて生産性ゼロだとも思います。

 

 

私の知る限りでは、

「一般的に成功者側だよな」

という状態の人ほど穏やかでした。

 

そういう方々は、

周りのひとを尊重する姿の方が沢山見られました。

 

 

本格的にお金を持っている方で、

お金をあまり持っていない人をバカにするなんて人はいませんでした。

 

 

それどころか、

それぞれの生き方をリスペクトしていたと思います。

 

 

もちろん聖人であるわけではないので、

いろいろとあるとは思います。

でも努めて人を批判するという言動には出ない。

 

 

そういう自己コントロールをされていらっしゃる。

 

 

お金を持っていれば持っているほど、

そういう傾向を感じますし、

実際に接するとそうです。

 

 

とっても優しいです。

 

 

だから、

別に成功するために誰かを批判したりする必要もないですし、

批判をしている時点で成功していない気もします。

 

 

以前はまったくもって理解できなかった話の一つが、

「成功はプロセスだよ」

という言葉です。

 

 

完全にどういうこっちゃ???

でした。

 

 

成功とはなんですか?

 

 

お金をたくさん得ることですか?

出世することですか?

家族を幸せにすることですか?

欲しい物、状態を手に入れることですか?

 

 

そのどれも結果でありプロセスである。

 

しかも、

もし素敵な別荘が欲しいという目標があったとします。

 

 

すると別荘を手にしたときが成功。

 

ではなく、

 

別荘を手にしようとしているプロセスである、

 

「今」

 

が成功だということだそうです。

 

 

どういうこと????

とやっぱり思うかもしれません。

私もそう思います。

 

 

でも仏教の言葉で「刹那」と言う言葉。

 

 

「刹那」とは要はものすごく短い一瞬の時間の単位を表しています。

(1刹那は75分の1秒。出典:ウィキペディア

 

このとてつもなく短い一瞬が次々と起きています。

 

 

そしてその一瞬はあくまでも「その一瞬」であり、

その前と後とは別のもの。

 

つまり一刹那前のものと今の刹那は関係なく独立しているし、

つながっているわけではないし、

連続しているわけでもない。

 

 

だから、わずか一刹那のあいだに変化も生まれたりもする。

 

だから変化も一瞬で起きたりする。

よくいう「決断」は一瞬ってやつでしょうか。

 

 

 

この一刹那に表現されるような、

今この瞬間、

が成功しているかどうか。

 

 

この瞬間が成功していたらもう、

人生は成功

なんです。

 

 

過去に縛られる必要はない。

未来に惑わされる必要もない。

 

いまこの瞬間。

 

 

わかるようなわからないような。

 

 

でも確かにこの「プロセスが成功」

というのを具体的に体験した一つの例があります。

 

 

それは以前営業の仕事をしていた時です。

 

 

当然目標数値というものを言い渡されます。

みなその数値を達成することを使命とされます。

 

 

でも私は自分で物ごとを決めたい人でしたので、

上から降ろされる数値というものを気にしたことがありませんでした。

 

 

もちろんやる気がなかったわけではないです。

 

 

標数値の最低3倍の数値を自分は設定していただけです。

それ以上ならなお良い、ということで。

 

 

何の根拠もありませんでした。

ただ、

見た感じいけていない普通の営業マンのために設定された数字に自分も乗っかるつもりはなかっただけだと思います。

 

 

そして実際にそれをやり遂げました。

 

 

周りの期待をいい意味で完全に裏切り続けました。

 

 

その時、目標をどれくらい意識してたのか?

というと、

ほぼゼロでした。

 

 

それよりも完全に日々、今の瞬間に集中していたと思います。

 

 

目の前でお客様が、

どんな表情か。

目線は?声の調子は?呼吸は?顔色は?

間は?手の動きは?

など全集中です。

 

 

部下の業績を上げて行くときも、

部下の一挙手一投足、状態に全集中。

この部下を活かすためにはどうしたらいいか?

だけを考えていました。

 

 

つまりざっくりと目標は知っているものの、

普段はほぼ意識していませんでした。

 

 

それよりもその場、瞬間で最高の状態を生み出すことに集中していたと思いますし、実際にそうでした。

 

 

それが出来ない時はだいたい迷っていました。

思うように乗ることが出来ず、

自分の思い描いた成果に到達しない瞬間が生まれました。

 

 

ようは今この瞬間の自分がどういう自分であるか。

 

これが全てだよ。

ということなんだと思います。

 

 

もし今の自分が自己否定や他者否定をしている。

その瞬間、自分は成功しているんだろうか??

 

 

怪しいです。

 

 

だれかの批判をしている。

この瞬間、成功しているのでしょうか?

その時間、幸せは増やしたのでしょうか減らしたのでしょうか。

 

きっと減らしていますよね。

 

自分の幸せを減らすことにせっせと自分の時間を費やしている。

でもそれに気がついていない。

本当にもったいないです。

 

でもその状態にハマっている人にそのことを伝えても、

きっと否定してくるだけです。

 

仕方ないです。

そういう時期なんですよね。

 

私はそこを抜けたのか?

先程も書いたように注意しています。

自己観察をし続けようと思っています。

 

だからいま一番怖いものの一つが、

 

「褒められること」

 

です。

 

褒められるのが本当に怖いので、

もし誰かが褒めてくれたりしたら、

心のなかで警告ランプを灯すようにしています。

 

 

またやたら人を褒めようとする人がいたら、

ちょっと距離をつくるようにしています。

 

 

褒めらるというのはとても気持ちがいいです。

満たされやすいです。

 

その反面、

承認欲が刺激されます。

褒めてほしい〜〜というのがどうしてもでます。

 

そして褒められるかどうか、

に振り回されます。

様々な弊害が生まれます。

 

 

(子供も褒めないほうがいいみたいです。詳しくはまた機会があれば。ネットで調べれば色々情報あると思います)

 

 

だから褒める、褒められる、

にはとても気をつけるようにしています。

 

 

まだまだ褒められたら嬉しい!

という反応もあります。

 

でも褒められなくても大丈夫。

にはだいぶ慣れた気もしています。

 

 

だからこういうところで書いたりすることが出来るようになったのかもしれません。

 

 

とりとめなく書いてしまいました。

最後までお読み頂きありがとうございます。

 

どうやら書き始めると止まらなくなるみたいで、

いろんな話に飛んでしまいますが、

お許しください。

 

少しでもなにかしらのお役に立てましたら嬉しいです。

いつもありがとうございます。

 

 

ZiHiKiSha〜