らくメンタルの教科書

「ガラスめんたる」から「らく(楽)めんたる」へ。実体験を中心にまとめています。

引き寄せるんですかねー

今朝いきなり面白いことがありました。

 

いわゆる「引き寄せ?」な出来事です。

 

 

 

最近ある方の動画(音声)にハマって聞きまくっていました。

聞けば聞くほど改めて素敵な方だなと思い、

 5日間くらいずっと聞いていました。

 

 

そして、

そろそろ詳しく情報を集めようかな〜

と思っていたところでした。

 

 

すると今朝!

 

 

その方の本が家の前にどっさりおいてありました!!

 

 

といっても古本や古紙の回収日ですが(笑)

 

 

でもきれいな状態で、

きれいに梱包されて、

他の古紙や雑誌の一番上にちょこんと。

 

 

周りの目もすかさず、

つい手にとってしまいました。

(良かったのかな?)

 

 

ときどきこういう事ってあります。

 

 

日本のことをもっと勉強したいな〜

と思っていると、

それを伝えてくれる場所を教えてくれる方が現れたり。

 

 

海沿いに住んでみようかな〜

と思ったら、

海沿いの仕事が現れたり。

 

 

「引き寄せ」なのかはわかりません。

 

 

あとこういうこともありました。

 

「今日は一つなにか誰かを助けよう」

 

と思って朝出かけると、

 

(いつもは多分そんなこと起きないのに)

 

突然目の前で転んで倒れる人が。

もちろん助けに行くわけです。

 

 

これに関してはだいたい同じことが起きました。

最近もありました。

 

 

もし「引き寄せ」というのがあるのであれば、

こういった考え方はどうでしょうか。

 

「もし自分がいまなにかしら不足しているのであれば、

その状況も心の中で願っていたから」

 

 

これってよく言われることですし、

みなさんも知っていることだと思います。

 

 

ところが最近になって再度やばい!

 

 

と思ったのは目標を設定したり、

欲しい物があったり、

求める状況があったりしてそれを目指している時は意識していました。

 

 

しかし、

「もし自分がいまなにかしら不足しているのであれば、

その状況も心の中で願っていたから」

についてはあまり深くは理解していなかった!

 

 

そんな気がしましたし、

ものすごくやばいことだと気づきました。

 

 

こういう事ありませんか?

「目標を達成しよう!」

 

ということを元気よく初めても、

忘れる。

 

 

年始に初詣にいってお願い事をする。

 

 

下手すりゃ境内の階段を降りたときには忘れかけていたり。

まあ仕事が始まったらだいたい忘れていた。

なんて事ありませんでしたか?

 

 

それってどういうことだと思います?

 

 

ただ忘れんたんでしょうか???

記憶力の問題でしょうか???

本気じゃなかったからでしょうか???

とっさにその場で考えただけだし、とか。

 

 

でも実はひょっとしたら。

 

 

それも自分が望んだ。

という可能性があると思うんです。

 

 

だってそんなに記憶力悪くないはずです。

他のことだったらもう少し覚えていることってありませんか?

しかも、

1年間という人生を掛けてお願いするわけですから、

本当はものすごく重要なことでもあるはず。

 

 

なのに忘れてしまうのはどうしてでしょう?

 

と考えたとき

 

意図的に忘れたのかもしれない。

 

ひょっとしたら。

 

でもその可能性も結構あるような気がしています。

 

でもそれって本当?

大切なことを忘れたい?

 

意味分かんない、と感じるかもしれませんが、

でも結構理にはかなっているんです。

 

 

なぜなら、

突然元旦に「今年はこうしたいと思います」

と言い始めたとします。

 

 

例えば、

鈴木さん(仮に)が初詣にいきました。

 

そこで、

「今年は英語が話せるようになりたいです」

 

といったお願いごとをしたとします。

 

 

でも鈴木さん実は何度も

「英語がはなせるようになりたいな〜」

と思いつつも進んでいませんでした。

 

 

そこでえい!っと初詣でお願いしました。

 

 

ところが。

 

 

1週間後はすっかり忘れいている。

思い出すこともない。

ひょっとしたら次の年の初詣に行く時に、

去年そういえば。。

なんて思い出すのかもしれません。

 

 

似たような経験ありません?

 

 

私も同じような体験があります。

 

 

そして対して深く考えていませんでした。

 

 

でも今思うのは、

 

「実は現状から離れるのが嫌だったのかも」

 

ということです。

 

 

英語なら、

英語が話せるようになった先の人生です。

 

その先はどんな人生が待っているでしょうか。

それは見えているでしょうか。

完全に安心な未来でしょうか。

その確約はあるでしょうか。

 

ひょっとしたら、

英語話せるよになって本当に人生が変わるでしょうか。

どれくらい良くなるのでしょうか。

 

 

もし英語を勉強する目的が、

「海外旅行で英語で会話したい」

だとしたら、

実は他にもたくさん条件が出てきます。

 

 

例えば、

そもそもそんなに海外旅行いっていますか?

それは英語を話せないと無理な旅行ですか?

そもそもそんなに現地の人に話しかけますか?

(おそらくもともと話しかけられる人は、英語が流暢かどうかに関係なく話しかけられると思います。出川さんのように。(笑))

 

 

つまり、

そもそもその目的は、

英語を話せるようになるだけで本当に実現するのか?

 

 

といった他にもチャレンジしなくてはならないハードルがまっていたりします。

 

そのチャンレンジは本当に喜ばしいことでしょうか?

そんな苦労を乗り越えるほど重要なことでしょうか?

 

それよりも実は現状維持して、

もともと楽しめていることを楽しんだ方が、

楽しめる成功確率高くないですか???

 

 

つまり、

下手に英語にチャレンジするより、

それをすっかり忘れてしまったほうが、

楽であり、

嫌な思いをしなくてすみ、

いままで同様の楽しみを楽しめる。

 

としたら、

私達の無意識というか、癖や習慣はどう反応するでしょうか。

 

それでも喜びを感じることが出来るかわからない、

手放したほうが楽で幸せでとしたら、

それでも英語の勉強を続けることを選び続ける価値はあるのでしょうか?

 

 

としたら知らずしらず、

現状維持に引き戻されるんじゃないかな。

 

 

そう思います。

 

 

だから忘れてしまう。

 

 

のかもしれません。

 

 

つまり言い方を変えると

無意識は「忘れることを選択している」

のかもしれない。

 

もっとはっきり言ってしまうと、

「忘れたい」

とも言える気がします。

 

 

その強烈な現状維持に立ち向かわなくてはならないのが、

目標の設定だと思います。

 

 

だから目標設定をしよう!

としても、

 

 

「自分はどんな思考をしているのか」

 

 

をコントロール出来ていないと負けてしまいます。

 

 

コントロールというと難しいかもしれませんが、

まず自分が知らずしらずどんな思考の癖があるのか。

 

 

それを知ることってものすごく大事だと思います。

 

 

そしてどうしたらそれができるのでしょう。

 

自分では普段気づけていない、

「こういうときはこう反応しよう」

 

という思考。

 

 

そして実はこれって目標を忘れるといった、

わかりやすい状況だけではないと思います。

 

 

日常的に私達の人生がどうなっているのか。

普段の生活や仕事でなぜこの状況や環境なのか。

 

 

その状況が求めるものでないと見えても、

実はそれは全部自分が思考したことの結果である。

 

ということですよね。

 

 

とはいえ、

「自分のせいなんだ!」

 

 

と責めるために話しているのではないです。

以前、私は自分を責めまくりましたが。。。

きつかったです。

 

 

責めるためではなく、

認めるためです。

 

認識するためです。

 

そしてそういう自分の癖があるんだと受け入れるためです。

 

 

その思考の癖も、

違う状況ではいい結果を生み出す可能性もあるわけなので、

否定する必要はないと思います。

 

 

でも、

望む未来があるのであれば。

現状を変えたいのであれば。

 

知ることが必要だと思います。

自分のことを。

 

 

深いですねー。

 

自分で書きながら頭がぐるんぐるんしてきました (笑)

 

 

本日もお読み頂きありがとうございました。

きょうはどんなことが頭をよぎっていましたか?

 

ポジティブな結果も、

ネガティブと感じられる結果も、

原因は自分の思考だと思います。

 

肯定的な思考だったか、

否定的な思考だったか。

 

 

よければノートに日々書き出していくといいかもしれません。

 

やっぱり手書きっていいみたいです。

 

 

ZiHiKiSha〜