らくメンタルの教科書

「ガラスめんたる」から「らく(楽)めんたる」へ。実体験を中心にまとめています。

テレビに集中したっていいじゃない?

私達の頭ってすごいです。いつも勝手にいろんなことを考えてくれています。
本当に私たちが知らないところでどんどん動いてくれていて、いろんなことを考えてくれています。
 
そのうちの一つをピックアップしてみました。
 
 
こんなことあったりしませんか?
仕事でもいいしテレビをみているでもいいしご飯を食べているでも何でもいいです。その何かをしている時、いまやっていることに集中しているつもり、楽しんでいたつもりが、ふと頭の中でいつの間にか「あれ?そういえばあれやったっけな〜」「こんなことしてていいのか?」とか他のことに気が取られたり、なにか漠然とした不安を感じるなど。
 
例えば休みの日。色々やろうと思っていたんだけども、
ついついテレビを見たりインターネットを見たりして、
気がつけば時間が経って、ふと我に返る。
 
気がつくと何か知らないけど焦っている。
そんな気持ちになってることってあったりしませんか?
今こんなことしてていいのかなぁとか、
やばいやばい俺ってだらしないよな、とかとか。
 
本当はテレビだってYouTubeだって集中してその時を楽しんでればいいのに、なぜか頭が勝手に仕事のことを思い出したり、予定のことを思い出したり、時間のことを思い出させてくれて、勝手に悩み始めたりするんです。
 
時間のことを気にしたりするのは必要なことかもしれません。
でもそれって実際にはその時間を楽しめていない、集中できてない、力を発揮できないということにもなりますよね。
例えばこれがテレビを見ていた時とかYouTubeを見ていたときとか、特に何でもない時に起きることならばいいですけど、仕事してる時とかに同じようなことを頭がしていたとしたらどうですか?
 
例えばお客様と話している時に、お客様に集中することができていないとか、その場に集中することができていないとか、実は頭の中では別のことを考えてしまっていたりするとか。
 
きっとその場に集中して考えることも重要ですけれどもそれを踏まえて、そこに集中して持っている知識だったり過去の経験だったり、リソースを総動員して最高の結果を出すのがその場で一番良い方法だと思うんですね。
 
あってます?
 
これがベストを尽くせている状態だと思います。ところが、ふと我に帰って本来こうするべきじゃないのになとか、ということが頭をよぎってしまうとどうなります?
 
いちどそういうのが頭の中に出てくると大体マイナススパイラルが生まれますよね。さらにネガティブなところを見つけて、またネガティブなところを見つけて、その場に集中するどころか自分の改善ポイントばっかり頭に浮かんできてしまう。果たしてこれがその場でベストの結果を出すことにつながっているんでしょうか。相手にとってベストな対応をすることができてるでしょうか。多分きっとこれは相手からしたらなにか迷っている人に見える恐れがでてきます。不安を感じている人に見えてしまったり、心のなかで感じてしまっているかもしれません。
 
DAIGOさんの「科学的社交スキル」でもおっしゃっていました。自分の状態が悪い時に人に会ってしまうと、印象が悪く写ってしまう。確かにそうですよね。
相手は「自信なさそうだな」とか「不安そうだな」とか、「何か計算してるんじゃないか?」とか「何か狙ってるんじゃないかな」といったことを感じ取ってしまうかもしれません。そして表面的にとりつくろっても全部バレてしまうというか、取り繕えば取り繕うほど逆効果になってしまうように思います。
 
だから、自己否定の思考が癖になっている人っていうのは、いつの間にか自分のベストの力を発揮することができていない状態を自分で作ちゃったりするんです。
 
しかもやっかいなことに、
それを良かれと思ってやっています。
 
これって苦しいと思います。
良かれと思ってやってるからこそ。
 
なぜでしょうか。
 
例えばお客様と何かやりとりをしていて、うまくいってない状態が目に映ったとします。それは本当にうまくいなかったのでしょうか。実は、うまくいってないところを見つけたとしても、それは自分の自己否定的な思考が見つけただけかもしれません。そもそも、やりとりしてる最中なので、まだ結果が出ていないわけですよ。うまくいったのかどうかの。結果が出ていないのにうまくいってないと勝手に判断をするというのは、多分勝手な自分の思考だと思うんです。そしてそれを相手に投影して勝手に「相手はいまこう感じているんだろうな」と妄想してしまいます。
 
にもかかわらず、それを勝手に悪い状態だと決めつけ、悪い状態を作ったのは自分のどこなんだろう?と自分の悪いところを探し始めます。
 
そして自分の悪いところを改善することの意識が傾いてしまい、その場に集中することができない。
 
改めてこれってほんとにその場で力を発揮できているという状態なんでしょうか。大切な結果を出すということに集中することができているのでしょうか。そういう時って、立てた目標がなかなか実現出来なかったり、行動してみたけど上手く行かず、一からやり直しになったり、そんな状態に陥ってしまったりする。ありませんか?
 
たださっきも言いましたが、本人はより良くなるために改善しようとしているので、本人としては良いことをしていると思ってしまうわけですよね。
 
自分のよくないところを見つけて、悪いところを見つけて、うまくいってないところを見つけて、それを改善する事は良いことだと思うんですけれども、大切なのはその改善する「ポイント」ですよね。
 
言い換えれば目的です。
 
目的がちゃんと定まっていたり、やるべきことや出したい結果が決まっていたり、明確であったりして、そこに集中して、それでも結果が出なかった時、その「結果」から判断し、全体の情報を抽出し、情報をもとに分析し、何を改善するべきかというのをしっかりと洗い出し、そこに手を付けていくのはいいんじゃないでしょうか。
 
つまり、自分を変えると言うよりも、もちろんそれもいいかもしれないんですが、自分を変え続けるってのはほぼ無理で大変で苦しいですよね。それよりもちゃんと論理的というか客観的に、結果までちゃんと見据えて、そのプロセスで何をしたかをちゃんと抽出し、その情報をもとに分析をするということが大事ですよね。
 
それをちゃんとしていないと頭の中で勝手に分析してわかったつもりになって、でもわかったつもりっていうのは勝手な自己否定だったりしていて、実はあまり結果に結びついていないんですよね。
 
だけど改めてですが、良かれと思って頭はやってくれているんですよね。何故かと言うとそうすることによって自分の何かが満たされるから。
 
これは「嫌われる勇気」でも言っていました。
 
人は常に何か目的を持っていて、それを満たすために何か反応してるわけです。つまりある状況で「自分の悪いところを見つけて、何か改善しようと言う思考が働く」というのはそれによって何かを満たしているわけですよね。
 
ひょっとすると結果を出さない方が、それよりも自分が悩んでいる方が、自分にとっては都合が良いのかもしれないです。実は。
 
 
現状維持って楽じゃ何ですか。悩んで動けないほうが、変化は生まれないし、現状維持がしやすいですよね。
 
 
そしてもう一つ考えられる要素として、自己否定型の思考が癖になっている人の場合(私がっつりハマっていましたが)、これは「苦しみの手放しかた」(著:大愚元勝和尚)でも言ってたんですけれども、人は自己否定をすると承認欲が枯渇する。自分の承認欲が満たされず、どんどん枯渇していくそうです。承認欲が枯渇している人っていうのは一般的な表現で言うと自信があるかないかと言うと、自信があるように見せるんですけれども、心の中では実はめちゃくちゃ自信がないわけですよね。それを取り繕うために満たすために「自分は自信があるんだ」と言うふうに見せかけたりまたは自信がある状態を作ろうとしたりしていて、本当は心の中では自信がなかったりするわけですね。
ではその自信がない人にとって、変化はどういう風に見えるでしょうか。状況や環境が変わっていくというのはどのように感じるのでしょうか。
 
ひょっとしたら自己否定型の人は自信が無いわけですから、今の現状が変わっていくのには無意識レベルで恐れを抱いているのかもしれません。不安を感じているのかもしれません。だから無意識に現状維持をしようとして、結果を出すことに集中し続けるよりも、途中で自己否定をして自分を改善する方に目を向けて、結果を出すことではなくて自分を改善しようとすることで、自分の承認欲を満たそうとしてしまうのかもしれないわけですよ。
 
この習慣が頭の中に根付いてしまっていると、ついつい良かれと思って自分探しに行ってしまうわけですよね。
 
いわゆる「自分探し」っていうのはこういうパターンではまるのかもしれないですね。
 
 
この自己否定と言うものに目を向け、客観視するようになって気づいたことの一つは、手にする情報がポジティブなものになったように思います。
 
好む情報が変化したように思います。
 
以前は自分をどうやったら変えることができるかとか、どういう風にしたらネガティブなものを解消できるかとか、そういうものでした。でも欲しい情報というのが未来志向に変わったように思います。それが「思考は現実化する」を改めて読む機会にであったり、オープンに開示できるようになったのもその現れかもしれません。
 
そういえば「思考は現実化する」という本に対する見方も変わっていました。
 
以前(ずいぶん前ですが)「思考は現実化する」を読んだときは、まさしく「思考は現実化する」本として受け取りました。ところが「思考は現実化する」はあくまで邦題というか日本で出版したときに受け入れられやすいようにつけた題名ですよね。
 
もともとの題名をご存知ですか??
 
 
「Think and Grow Rich Action Pack」
 
 
どういう意味でしょう。だいたいは見たことのある単語が並んでいます。
 
 
とりあえず「思考は現実化する」は、原題ではなさそうな感じがしませんか?「思考は現実化するよ」という意味合いのことは確かに書かれていますが、全文を通して「思考は現実化する」にフォーカスをしているようには今は思えません。どちらかというと、しっかりと富を築こう。でもそのときに「思考」が大事だよ。でもその「思考」を具現化するには「こういう行動をとってね」でも「その行動をとるのって大変だよ。だからそのマニュアルとして、成功者はこういう傾向だったよ。こういうことを大事にしていたよ。それを書いておくから、みんなもその富を築いて幸せになった人たちみたいに成功しようね」という本に思います。(そもそもそうでしょ?という方も多いかもしれませんが、以前のわたしは「思考は現実化する」にフォーカスが傾いていました。つまり「どうしたら未来を実現できるか」に。なんとなく今思いえば綺麗な側面だけを見ていようとしていたのかもしれません。そしてその当時は「富を築く」ということに無意識が抵抗していたのかもしれません。がっつり自己否定型思考でしたから。)
 
 
いまはなんとなくですが「Think and Grow Rich Action Pack」の意味をある程度すっと受け取ることが出来ているような気がしています。改めて素晴らしい本だなと思いました。確かに以前の私だったら「Think and Grow Rich Action Pack」を直訳された題名だとしたら抵抗感をしめして読まなかったかもしれません。受け取り方というのは本当に変わるものです。
 
そういう面では本当に「思考は現実化する」(思考が現実化する)んだなと思います。
 
みなさんは今どんな思考が回っていますか?
それは幸せな思考ですか?
肯定的な思考ですか?
 
今日もお読み頂きありがとうございます。
前回から音声から文字起こししてくれる機能を使っています。打つのではなくまず喋ってPCに文字起こししてもらい、その後で軽く手直しをする感じです。
 
ですので、いわゆる流行りのブログやメルマガみたいな書き方ではなく、読みづらいかもしれませんが、この方が素直に思ったことを表現できるように感じています。
しばらくはこの体裁で行こうと思います。
 
よければお付き合いください。
 
いつもありがとうございます。
 
ZiHiKiSha〜