らくメンタルの教科書

「ガラスめんたる」から「らく(楽)めんたる」へ。実体験を中心にまとめています。

普通でいられる強さ

きょうも遅い時間に書いています。

周期的に遅寝になるなのはなんでだろ〜。

 

ということで今日も短めに書きます。

かなり眠いので出来る限り短くシンプルに。

 

テーマは

  「普通」

です。

 

この言葉も名著;嫌われる勇気

に印象付けられて最近あたまの中に出続けてくれています。

 

 

いろんな意味で「普通」

は偉大であり、

本来の人生を生きていることであり、

実は最も自分の人生を生き生きとさせてくれる。

 

きっとそれが「普通」の強さだと感じています。

 

例えば私の場合、

自分の承認欲を満たすために、

自己優越感を得てきました。

 

仕事でもプライベートでもかなり。

 

ただごく一部の人ですが、

その人達といるときは優越感を作る必要を感じず、

「普通」

に過ごすことができてきました。

 

 

しかもすごいことに、

(大勢の方々にはそれこそ普通のことかもしれませんが)

その相手たちとは20年以上付き合いが続いています。

 

そのなかには定期的に会えているのもいれば、

全然会えていない。

でも普通につながっている感覚のままです。

 

 

これって、

「普通』

でいるときが一番人間関係が良好だった。

 

ということと言ってもいいのではないでしょうか。

きっとそうです。

 

 

それよりも、

 

自分をよく見せた状況で出会った相手とは、

どうも結果が伴わなかったようにも思います。

 

 

自分自身はその後の付き合いで

「よく見せよう」

とは思っていないつもりなんですが、

無意識にやっちゃっていたんでしょうね。

 

 

仕事的な繋がりがなくなると、

続きませんでした。

 

実際にどれくらい心の方でつながっていたのか、

とも思います。

 

 

その最大の理由はおそらく

「自己開示」

だったのかもしれないと今は思います。

 

 

優越感を得るため。

承認欲を満たすため。

 

言い換えれば、

承認欲を満たさなければならない。

それがかなり強く。

 

という状況では、

どう考えても素の自分ってださない。

 

そう思いませんか?

 

「巣の俺ってさ〜〜」

とか言いながら実はよく見せるためにそれも言っている。

その可能性が感じられます。

 

 

以前拝見した東京03のコントでもありました。

めちゃくちゃ印象に残ったものがあります。

 

 

ある上司と、

部下2名。

合計3人で会話をしています。

 

簡単にいうとその三人の中で、

上司が「俺ってさ〜〜〜」

という話をし始めます。

 

そして、

(かなりかいつまみますので内容はコントの方でご確認を)

上司が「格好つけているのって嫌だよね〜」

「俺はそういう人間にはなりたくないな〜〜」

といって部下に誇らしげに自分の主張を言います。

 

ところが。。。

(結末はコントで見ていただきたいので割愛します)

 

なんとなく想像はつくかもしれません。

ようは実はその上司、格好つけていたんじゃない?

 

という疑惑が生まれるわけです。

 

もしあなたが、

その疑惑を突きつけられた側だったとしたら、

どう反応するでしょうか。

 

 

でももし、

「自分は別に普通で大丈夫」

 

という生き方だとしたらどうでしょうか。

 

格好つけている人が気になるでしょうか。

格好つけようと思うでしょうか。

他のひとより成績で抜きん出なくてはならない、と思うでしょうか。

人より成功しようと思うでしょうか。

 

 

もちろん、

格好つけるために仕事で頑張って大きな成果を出す。

ということもいいことかもしれません。

 

しかし、

「格好つける」こと自体がもし目的だったとしたら、

結構な落とし穴が待ち受けているそうです。

 

 

なぜかというと

「どの分野でもおそらくほぼ間違いなく、

自分以上の結果をのこした人たちが世の中にはいる」

からです。

 

 

そして「格好つける」というのは何が対象になるか。

そこが重大なポイントです。

 

 

比較対象がもし存在しなければ、

格好つけてなにがいいんですか?

 

ということになるはず。

 

そもそも何と比べて格好いいのか。

など。

 

言い方を変えれば、

 

「カッコうつける」

ということに縛られているのかもしれない。

 

または誰かと比べていたのであれば、

その誰かに振り回されているのかもしれない。

 

 

もしそういう制限がなければ、

もっと自由に本来の望むことにフォーカスが強く向いていたかもしれない。

 

そして本来の望む生き方に力を全て注ぐことができ、

より幸せを感じていたかもしれない。

 

ということかなと思います。

 

だから実は「普通」が最強。

かもしれない。

 

 

なかなか難しいとは思います。

 

「本当に普通でいいの?」

「それじゃいい収入の仕事につけなさそうじゃない?」

「平凡に生きろってこと?」

 

などの疑問も生まれると思います。

私もそういう不安がよぎります。

 

 

そこについはまた後日踏み込めたらと思います。

 

 

最後に。

 

関係ないかもしれませんが、

木更津キャッツアイ

知っていますか?

 

この主人公が大切な人に送ったメッセージでも、

「普通」

が使われていました。

 

さすがです。

 

今になってその主人公のメッセージの意味が少しわかるような気がします。

 

 

ZiHiKiSha〜