らくメンタルの教科書

「ガラスめんたる」から「らく(楽)めんたる」へ。実体験を中心にまとめています。

大切にしよう

こんにちは。

今日は「どんな感じ(テーマ)」で一日を過ごしますか?

 

 

私は改めて「自分を大切にする』ことにしました。

 

 

理由はどんなスタートが多かったかな?

と走馬灯のように思い出したからです。

 

 

普段のわたしは、

「あれしなきゃ、これしなきゃ」

「こういう風に過ごすべきでしょ?」

とたくさん考えて行動してきました。

 

 

自分を急かしたり攻め立ていて、

ぜんぜん休めていなかったのかもしれません。

 

 

無意識に"ルール”みたいのものがあり、

それに急かされていたり、

またはそれに従った過ごし方ができていない自分は駄目なんじゃないか?

と思ったりして全然自由じゃない。

 

 

ひょっとしたら、

こんな過ごし方をしている自分は駄目なんじゃないか?

だから成功している人たちの過ごし方を学び、

その通りにしなくちゃいけないんじゃないか?

 

そういう過ごし方をしていないやつらは

ダメなやつ!

 

 

そんな気持ちで過ごすことも多かったように感じます。

 

 

もちろん学び実践するのはいいこと。

 

ところが、

「それはどんな目的だったのか?」

がとても大事に今は思います。

 

 

もし、

・成功者のように一日を過ごさないのは駄目なやつ。

・いまの自分は駄目だから、休みの日も自分を磨くことをしなければ。

 

 

このような、

「自己否定型の発想」

で自分を受け入れることができていないなら、

より自分を苦しめてしまうのではないか?

 

 

そう思いました。

 

 

つまり、

そもそも「自己受容」ができていないから、

「成長意欲」という名に置き換えて、

いろんな努力をすることを美化し、

そしてやりきった満足感で自分を肯定しよとする。

 

 

結果としては色々やるかもしれませんし、

勉強もするかもしれませんし、

知識やスキル的な成長はするかもしれません。

 

 

しかし、

心は成長していないような気がします。

心は磨かれていないような気がします。

心はぜんぜん落ち着かないんじゃないでしょうか。

 

 

一方、

何もしないほうがひょっとしたら、

心は整い、

いい思考や判断ができていたかもしれません。

 

 

どちらかが正しいかはわかりません。

 

 

ただ一つ

「確かにな」

と思うことがあります。

 

なんでしょうか。

 

それは、

スタートが「自己否定」であり、

自分を認める手段が「行動」である。

 

 

いまの自分を良しとすることができない。

自分を受容することができない。

自分を認めることができない。

 

 

だから、

なにか行動すうことで自分を認めよう。

ということは、より自分を苦しる方向に悪循環しそう。

ということです。

 

 

なぜでしょうか。

 

 

成長しそうだし、

なにもしない人よりいいんじゃないか?

怠けたりしたらもっと自分を駄目だとおもってしまうよ。

 

 

確かに、そう思うかもしれません。

 

 

でも、

もしあなたの身近な人がいて、

「その人が何かをしていないとその人を認めることはできない」

といつも感じていたとしたら、

それはどうでしょうか。

 

 

例えばあなたの大切な人は誰ですか?

お父さんですか?お母さんですか?

奥さん?パートナー?お子さん?

 

どなたかを想像してみましょうか。

 

その大切なひとはいつもなにかしていないと駄目な人でしょうか?

 

もしあなたが一生懸命に仕事をして、

ヘトヘトで疲れて帰って来た時、

 

あなたの大切な赤ちゃんはただ寝ているだけ。

何もしていません。

 

でもあなたは、

その赤ちゃんをみて、

その存在にふれるだけで心が癒やされ、

また頑張ろうという勇気をもらったりするかもしれません。

 

赤ちゃんはなにか行動しましたか?

 

 

あなたの大切な人が病気になりました。

私の父や母もガンで手術と入院を経験しました。

 

幸いなことに手術後も元気にしています。

 

手術が終わり無事だったことがわかったとき、

ただ生きていてくれただけで嬉しい気持ちになりました。

ありがとう、と思いました。

幸せな気持ちになりました。

 

生きているだけで「ありがとう」と思えた。

 

「存在している」ことそれ自体が嬉しいことじゃありませんか?

ありがとう、と思えませんか?

 

それは言い方を変えれば、

「存在していること自体に価値がある」

ということです。

 

 

私達も存在していること自体で誰かが「ありがとう」

と思ってくれているかもしれない。

 

 

いやいや、そうはいっても、

自分は普段一人で生きているから。

 

 

と思うこともあるかもしれません。

 

 

でも、

 

 

あなたは普段何も食べずに生きていますか?

家賃を払ったり、税金を払ったりしていませんか?

 

極端に思えるかもしれませんが、

そのあなたが支払ったお金で生活ができたり、

また生きながらえることができたりしている人がいるのは確かです。

 

 

あなたが生活しているとうことは、

誰かの役に立てている。

 

とも言えるかもしれません。

 

 

つまり、

 

「行動」しているかどうかで認めるのか。

「存在」していること自体で認めることができるのか。

 

どちらをスタートにするかだと思います。

 

 

私自身、いまこの事が本当に腹落ちしているかというと、

まだまだふわふわしています。

 

頭ではわかっている、

そう教わったから言える、

感じだと思います。

 

 

これをいま書いているのは、

自分自身、確認のために書いていると言う意味合いが大きいです。

 

 

そして、

理解した未来の自分だったら、

自分にどう言うかな?

 

とも思いながら書いています。

 

 

話を戻します。

 

「きょうはどういう風に過ごそうかな?」

 

「きょうは何をしようかな?」

 

と考えた時です。

 

その時にどんな発想がスタートなのか。

 

 

それが、

「行動していないと自分を認めることは難しい」

とうい自己否定がスタートでしたか?

 

または、

「いつもの自分でOK。きょうも迷いなし!」

みたいな感じで元気ハツラツ!みたいな感じでしょうか。

 

または、

「きょうも自分を大切にしよう」

といった感じでしょうか。

 

いまの私には最後の

「自分を大切にしよう」

というのが結構しっくりきます。

 

なぜかといえば、

私は自己否定をエネルギー源にしていることが多かったからです。

 

自分を肯定できるように、

ずっと勉強したり、トレーニングしたり、

新しいことに取り組んだりしてきました。

 

そのおかげで出来るようになった事もあります。

ありがたい出会いにも恵まれました。

 

いまの自分を好きにもなってきました。

 

でも自己否定をエネルギー源、

または「何をするか」の発想のスタートラインが、

「いままでの自分では駄目だから、なにかなくては」

と自分をネガティブに急き立てるものだったとしたら、

心は整わず、

判断は悪くなり、

悪循環を繰り返してしまう。

 

そんな気がしました。

 

 

ところが「自分を大切にしよう」

と考えます。

 

 

すると言葉にするのは難しいですが、

「自分を大切にするということは」

と思考が周ります。

 

「自分の大切なものを大切にすることかな?」

 

と考えます。

 

すると自分の大切にしていることが出てきます。

 

親かもしれません。

自分の属するコミュニティーでのつながりかもしれません。

自分の大切にしている趣味かもしれません。

仕事かもしれません。

なんでもいいと思います。

 

大切なことのために思いをもって過ごすことができたら、

充実しそうだな、

と思いました。

 

 

「自分を大切にしよう」

には自己受容の気持ちがでやすいと思います。

 

 

「嫌われる勇気」でも言っていました。

 

 

まずは自己受容だよ。

と。

 

そして他者への貢献に力を注いだり、

ともに生きるひとへの貢献だよ。

 

 

そうですよね。

他者へ貢献していない私はだめなやつだ。

だから、

他者へ貢献して、私を認めてください!!

他者に貢献をする行動ができていない自分は駄目やつなんです!

 

って辛いです。

 

そもそも、

いまのままの自分でまずは大丈夫。

そのうえで何か役に立てることがあればぜひ。

そんな感じでしょうか。

 

 

「自分を大切にしよう」

きょうはそんなテーマでこれからも過ごしてみたいと思います。

 

 

〜ZiHiKiSha〜