らくメンタルの教科書

「ガラスめんたる」から「らく(楽)めんたる」へ。実体験を中心にまとめています。

課題の分離

昨日の続きとして今日は一日じゅう

「課題の分離」

を意識し続けてきました。

 

なんど「課題の分離だ」と思い出したか数え切れません。

 

何か自分のなかにフラストレーションとか、

嫌な感じ、違和感などを感じたらすかさず、

 

「課題の分離、課題の分離」

「その結果は誰に起こる?その結果を生み出すのは誰?」

と自分のなかで言い聞かせつつ、

 

「だとしたらどういう反応になるのか?」

 

を確認し続けました。

例えばこんな風に。

 

ある方が私に立場を利用して無理やり何かを思い知らそうとしました。

(あえてこういう風に表現していますが、私自身は感謝の心で受け止めていますし、相手も悪意があるわけでもなく、なにかしら良かれと思っての対応だと思っています)

 

そこで私は「う!」となるわけです。

 

なにかしらプレッシャーをかけられた。

悪い評価をする意味合いのことを表現してきた。

その人にとっての基準で、できていないことをあげつらってきてムカつく感じだった。

要はマウントをとる感じでした。

 

 

「課題の分離」

を使う前の私の対応はこんな戦法でした。


・嫌な状況(気持ち)に直面した。

・まずは自分をコントロールしてその気持に振り回されないようにしよう。

・そのためには自分の対応を改善しよう。

・そのためには自分のなかの何かを修正しよう。

・さて、何を修正すればいいのだろうか。

・・・(もんもん)

 

という発想でした。

 

これはまさしく

「自己否定型ストレス対応」

です。

 

そして大きな勘違いです。

・自分では良かれと思っている

(「ひとのせいにしない自分は偉い」という勘違い)

・自分の成長につながると思っている

(「成長意欲が高い自分はそうではない人より抜きん出ている」という勘違い)

・自分を変えることで相手には負担をかけないようにしようとすることで良い人であろうとしている

(「あなたより自分の方がいい人なんだよ」という超勘違い)

などなど。

 

要するに、

「自己満足型の自己否定による自己陶酔」

とでもいいましょうか。

 

誰も求めていないのに一人で勝手に自分のせいにして、

相手がどんな人であっても、

相手がどんな対応してきたとしても、

ひとまず一旦、相手のせいにしたとしても、

最後は「自己否定」で決着をつけることで自分を肯定しようとしたり、

自分の存在価値(承認欲)を満たそうとしているだけ。

 

というとても自己満足な終わらせ方でした。

 

 

なんとなく対処できいるようで、

実際は自分のなかにはストレスが蓄積されていた。

 

という状況から察するに、

おそらくこのような「自己満足型ストレス対応」

に陥っていたんだと思います。

 

 

ところが!!!

ここからが非常に重要なポイントです。

 

 

それは、

「課題の分離」

を使った時、

「自己否定型ストレス対応」

に陥らずエネルギーの消耗を大幅に防ぐことができていた!

というところです。

 

これはすごい!

と朝から感じることができました。

 

 

自分にとって嫌な状況(人間関係のなかでの)

に陥りストレスを感じた時、

すかさず思い出しました。

 

 

「そうだ、課題の分離だ」

 

 

相手がどう考えているのか?

そしてその結末が相手にどう影響を及ぼすのか。

それはあくまでも相手の世界での話。

自分がそれに無理して合わせるか合わせないか、

それもあくまでこちらの世界での話。

 

相手がこちらにやろうとしていることを受け止めるのかどうかは、

こちらの課題であり、実は相手は関係ない。

 

また受け取らない自分でいたとして、

その結果、相手がどんな反応をするかは相手の課題(言い換えれば相手の勝手)。

 

私がどうこうすることではない。

 

なぜなら、相手がどんな反応をするか、

そしてその結果として相手にどんな結末がうまれるか、

そしてその結末に対応するのは、

私ではなく相手。

 

であれば、

相手の課題は相手のなかで完結することだから、

相手の対応や出方がウザ、というものであったとしても、

いま私がどういう対応をするかを考える基本発想は、

(下の思考の記述はあえてこういう風におもいついたままを記載しました)

「私がどんな発想をしたり対応をしたら、自分にどんな結末がもたらされるのか。そしてそのもたらされた結末に対応するのは誰か?もちろん自分である。であればどっちの選択をしたとしても自分の課題であり、自分で結末を見ることになる。であれば、相手に合わせるかどうかも自分の選択だし、どういう対応をするかも自分。もっといえば、自分がどういう対応をしたからといって、相手が自分に対して今後悪感情をもつかどうかもわかりはしない。もったとしてもそれが結末ならば受け入れるし、自分の対応が真摯であれば、何かしら相手の私に対する印象にも影響は与える。でもそれでも相手に「自分に対してどう思ってもらおうか」と印象操作をするのは違う。もしそれをしたら今の相手と同じことをすることになる。やめておこう。そしてとても大事なポイントとして、相手が怒るかどうかを私が気にするのは、自分を相手のコントロール下におくことになるだけだし自由ではない。私は自由を選ぶ。隷属は好まない。もし自由を選ぶことで相手が怒ったり何なりするのであれば、その結末もまた相手のものであり私の課題ではない。ここまでを考察するに、いまの相手の出方に私がどう反応するかは私の自由であり、それにたいして相手がどんな決断をするかを私が決めることができるわけではない。どっちの対応をしたにしても。私にできることはただの一つしかないわけだ。ともに存在する相手に対して貢献の気持ちをもち、行動するというしかない」

 

 

などなどと思考をめぐらしてきました。

似たような感じで嫌な気持ちを感じたりした時には

「課題の分離、課題の分離、、、」

 

と繰り返し頭の中に思い出させ、

そしてフォーカスの切り替えを行い続けました。

 

その結果はというと、

 

一日中、頭がかなりスッキリ。

 

でした  ( ^ ^ )

 

一昨日(昨日「嫌われる勇気」を読んだので)

までとは段違いでした。

 

 

「課題の分離」

をすることでかなり脳への負担を軽減できたのかもしれません。

 

脳へ負担、

(とくに不安やネガティブなストレス感情)

をかけてしまうと、

 

「ワーキングメモリー

(簡単に言えば「作業できる容量」とでもいいましょうか)

を圧迫してしまうそうです。

 

ワーキングメモリーを圧迫してしまうと、

脳の作業に負担がかかり能力を発揮できなくなり、

いわゆるIQが発揮されず低下した状態になってしまうそうです。

 

 

きっとここしばらくの私はそんな状態だったと感じています。

 

 

「頭が働かない!」

と感じることが毎日のように起きました。

 

 

例えば、

・言葉が思ったように出てこず無理やりな会話になる

・たいして切羽詰まった状況ではないのに、冷や汗をかいている

・次のことを考えることがなかなかできない

・気分や行動の切り替えが上手くおこなえない。(同じことの繰り返しが楽になる)

・いろいろ工夫したり知識を吸収したりしているはずなのに、逆に混乱していったり、前より下手になっている

 

といった状態が続いていました。

自分でも明らかにこの状態に陥っている実感があったので、

かなり焦りました。

 

だからこそ、

様々な自分に勇気をくれる本や師匠、

動画に出会ったのかもしれませんし。

 

また、

ここにたどり着くために、

今の状況があるのかもしれません。

 

 

そして「課題の分離」

という言葉に出会いました。

 

 

きょうは、

・普段やらないことを自然な感じでやってみる

・人との会話中、頭が回転している感覚がある

・脳が「疲れた」という感じはしなかった(少なくなっていた)

・行動に無駄が少なかった

・お腹があまりすかなかった(ストレスが少なかったからか、自己コントロール力が発揮されたのか)

 

などなどかなりいい影響を感じました。

 

とはいえ、

まだまだ始めたばかりです。

 

明日も「課題の分離」をやってみます。

「嫌われる勇気」をもてる理由が少し垣間見えた一日でした。

 

 

本日もお読み頂きありがとうございます。

「自己否定」

が自分の人生にどう影響を与えていたのか、

から発想をスタートしました。

 

日々の記録をつけること、

また、似た思いや悩みを感じている方がここに辿り着き、

何かしらの助けになること、

が一人にでもできれば、と思い書き綴っています。

 

聞きづらいならぬ読みづらいところもあるかと思いますが、

お付き合い頂きありがとうございます。

 

 

それではまたの日記でお会いしましょう。

 

 

ZiHiKiSha=