らくメンタルの教科書

「ガラスめんたる」から「らく(楽)めんたる」へ。実体験を中心にまとめています。

自己否定のサイクルを抜けるには

こんばんは。

きょうはどんな一日でしたか?

どんないいことがありましたか?

どんな親切を人にしましたか?

 

と書きながらいま私自身思い出しています。

皆さんはどんな親切を人にしてあげましたか?

 

なぜこれをやっているかというと、

ゲシュ・マイケル・ローチさんが講演でおっしゃっていました。

 

寝る前に、

「どんな親切を人にしてあげたか」

を思い出し、

「いいことしたな〜」

とこっそりほくそ笑みながら気分良く眠りにつく。

 

すると、

どんどん親切(貢献)のエネルギーが増殖されて、

いつのまにか自分の人生が好転していくんだよ。

夢が叶う方向にどんどん進むんだよ。

 

と。

 

最初それを聞いたときはかなり半信半疑でした。

 

だって、

 

「カルマだから」

 

ということだからです。

 

カルマ???

なんですかそれ???

 

と思いつつ、

でもとても穏やかで幸せなお顔で、

そして言葉の一つ一つが優しく暖かい。

 

このような方がおしゃることだし、

それで人生を切り開いてきた方がおっしゃるし、

試してみよー。

としばらくやってみたけどよくわかりませんでした。

 

でもその後色々勉強していると、

 

DAIGOさんもニコニコ(いまはD-ラボ)で

「寝る前に3つ親切にしたことを書き出す」

というワークの効果について伝えていましたし、

その他いろいろ見てみても似たことが書いてあります。

 

なので、

とりあえずは続けています。

 

 

さてその効果もあってなのか、

「みずから自己否定をしている瞬間」

というものに気づける量が増えて来ている気がします。

 

意識レベルにもってこれれば楽になりますし、

方向転換できるのでとても助かっています。

 

さて今日はどんなことがあったのか。

 

やはり仕事でうまくいかなかったときに出ていたように思います。

いつのまにかの超自己否定。

そしてメンタルはガタ落ちしていた瞬間にふと我に返りました。

 

 

そうやって気づけているうちはいいのかもしれませんが。

 

 

私はいつの間にかこんな教えを信じていたようです。

 

それは、

「何か問題が起きたときは自分に原因があると思え」

 

という教え。

 

そして、

「自己責任意識」

 

というとてもかっこいい言葉。

 

これはとても便利な言葉だと思います。

 

なぜなら、

なにか問題があった場合は、

自分の中に責任を求めればいい。

そして自分のなかにある原因を見つめればいい。

 

ということに陥ることがあるからです。

もちろんそれですぐに原因をみつけ改善し、

行動も変えることができるのであればいいかもしれません。

 

でも人ってそんな簡単に変われます?

難しいですよね。

 

私はそう思います。

一瞬で変われるなら何にでもなれるでしょうけど、

そうもいかないです。

 

そして、

「自己責任意識」

をめちゃくちゃ大事にしていると、

次のような連鎖の罠に陥るかもしれないです。

 

それは、

1 なにか問題が起きた

2 その原因は自分にあると考える

3 自分のなにが良くなかったのかを探そうとする

4 たぶんこれが良くなかったのかもしれない、と推定する

5 それを踏まえて改善して次の機会に望む

6 たしかに何か変化がおきた。でも求める結果が出続けるわけではない。

7 上手く行かないことが起きるということは「何か自分に問題がある」と考える

8 なにかしら原因を突き止め、また改善して次の機会に挑む

9 何か変化を感じた。でもまた全部が全部うまく行くわけではない。

10 …

 

10以降は想像がつくと思いますが、

ようは堂々巡りになりそうじゃありませんか?

ということです。

というか私がこのパターンに振り回されてきたので書きました。

 

この思考の中にいくつかのポイントがあると思います。

 

それは、

 

・そもそも自分のなかの原因が「本当に原因だったのか」という判定が難しい

・人間はコンピューターみたいに一度記憶したものをまるまる再現できない。いつのまにかずれている

・ずれている自分に気づくのが人にとって最も難しいことの一つとも言われる

 

にも関わらず、

自分で自分を深堀りしてあてのない答えを探し続ける。

 

そんな堂々巡りが前進させてくれない。

そんな気がするんです。

 

ではなぜ、こんな堂々巡りにハマったのかを考察すると、

 

おそらく原因は

「承認欲」

 

だと思います。

 

自己否定をしているということは、

自分に対する承認欲が枯渇するとのことでした。カラカラに。

中田敦彦さんのYou Tube大学〜【反応しない練習2】競争社会で悩まず生きるための正しい動機とは?)

確かにそう思います。

 

そしてなぜそれが関係するのか。

 

その答えは

「自分のせいにしている俺ってえらくない???」

 

だと思います。

 

おそらく私の、

「何か問題が起きたときは自分のなかに原因を求めをれを改善しよう」

 

という自己責任意識の源は枯渇した自己承認欲だったんだと思います。

いや、大いにそうだったんだと思います。

 

 

「自分を改善しよう」

 

としてまたさらに自己否定をして自己承認欲が枯渇する。

そしてその欲を満たすためにまた自分を責める。

 

なんだか書いていて吐き気がしてきました ^ ^ ;)

 

そしてその次があるそうです。

 

それは昨日も書きましたが
(よければ昨日のもご覧ください)

人は自己否定をし続ける事はできない。

いずれそれは他者に向かう。

つまり他者否定や他者攻撃に移ることがある。

 

という悪循環!

 

 

自分のせいだから、と頑張っているうちはいいんですけど、

メンタル落ちてきて、

やってらんないよ、

となってきたときに怖いのが他者攻撃。

 

結局、他者を攻撃することで自分の承認欲を満たしてしまう。

しかも恐ろしいことにその時は、

 

「自分は十分に自分のせいにした」

 

という自負があることです。

 

だから他者攻撃に移った時、

 

「お前が悪い、周りが悪い」

 

というのが完全に正義になってしまう。。

 

怖いですね〜。

また吐き気がしてきました(笑)

 

 

きょうの自分はなんかそんな状態を感じました。

ここで書くことで思い出せました。

 

 

さて、そんな自分はよくないから改善しなくちゃ!

みたいなことはひとまず置いといて、

 

改めて

「どんな親切を人にしたか」

 

を思い出してきょうは休みたいと思います。

 

 

本日もお読みいただきありがとうございます。

感謝。 

 

明日はどんな一日になるでしょうか。

楽しみです。

 

 

 

ーZiHiKiShaー