らくメンタルの教科書

「ガラスめんたる」から「らく(楽)めんたる」へ。実体験を中心にまとめています。

気にしない生き方

こんばんはZiHiKiShaの日記です。

きょうもずいぶんとやってしまいました。自己否定!

 

果たして世の中「自己否定」なんてしたことない!

なんて人がいるのだろうか??

いやすべての人が少なからず「自己否定」しているんじゃないか??

 

と思ってしまうほど、

「自分が悪いんだ」

「いまの自分はいけてない」

「やっぱり自分を変えなくちゃだね」

なんて思考が頭の中をぐるんぐるんしています。

 

 

私は当たり前のように、ごく自然に、

自己否定をエネルギー源にして生きてきました。

 

 

だから、

そうではないという状態はほとんど味わっていません。

 

 

そういえば!というくらいで、

けっこう大丈夫だったときが一時期ありました。

 

または、

瞬間的に状態あがりまくって、めちゃくちゃ楽しめている、

なんていう時間もありますが、

夜になると「あ、あのときのあの態度まずかったかな〜」

なんて根拠のない不安を感じたり。

 

そんな時ありません?

 

別にわざわざ思い出して自己反省しなくてもいいようなことなのに、

なぜか、

「あ!そういえばあの時のあの人の一言にちゃんと反応できていなかったな〜」

なんていう小さなミスとかをふと思い出したり。

 

その人との関係は全然問題ないですし、

逆に前より仲良くなっている。

 

のに、

ふとした一言が気になって、

「もっと相手の言葉に敏感にならなくちゃ!」

 

とか前向きのようで成長心豊かなようで、

単に自分をつつくことで自己満足しているだけみたいな。

 

実は、自己満足なだけの可能性けっこうあるかもしれないです。

私の場合はおそらくですが、かなり自己満足のための振り返りをしていると、

自負しています!!

 

 

少し話を戻します。

「自己否定」という感覚を味わったことがない人、

または、

「自己否定なんてしたことない」という人、

実はいらっしゃるそうです。

 

 

というかいらっしゃいます。

私も結構そういう方々にお会いしてきました。

 

 

ほんと羨ましく思いました。

 

いい意味でですけど、

「自分が悪いとはおもっていない」

わけです。

 

少し言い方変えると、

「迷惑かな〜」「迷惑かけたかな〜」

なんて思ったりもしないのです。

 

 

なかには、

「それって傲慢じゃない?鈍感なだけじゃない?」

と思う方もいらっしゃるかもしれないのですが、

実は、

素直にそういう風に育ち生きているというだけなんだそうですよ。

 

でもいいじゃないですか。

とも思います。

(少しうらやましくおもいつつ)

 

「人に迷惑かけたなんて、思ったことない」

と思っている方は、

「人に迷惑かけられたなんていうふうにも思わない」

そうです。

 

なぜなら別にいいじゃん。人それぞれだし。

考え方違うし。やり方違うし。

違うなら違うでいいんじゃない?

その人はその人で頑張っただけでしょ。

 

だからだそうです。

 

 

実際に、

心理学的な研究や、人(の精神構造)の発達に関する研究、

様々な理論にも、

そういう風に育つ「パターン」があることは記されています。

 

 

成長する段階で大きく2つのパターンに分かれるそうです。

 

 

〜1つ目のパターン〜

いわゆる「反抗期」的なものを若い頃に経験した場合。

 

・感受性が高く周りと上手く行かない

・大人の言うことを理解できない

・人と同じ行動がとれない

そういう反応は「反抗期」とは別のカテゴリーです。

(時間があればそちらについても教わったことを書きます)

 

ここでいう一般的な反抗期とは、

・特別な論理的理由なく、ただ頭に血がのぼり親の言うことに反抗する。

・瞬発的に切れる、またはそのような反応をする

・怒りなどのネガティブな感情に陥るとなかなか抜けられない。また繰り返す。

といった状態の反抗期です。

(いわゆる「反抗期」ってこうだよね、の状態です)

 

 

〜2つ目のパターン〜

(こちらの方が少数派のようです)

上記のような「反抗期」ではなく、

多感な「思春期」を過ごすパターン。

 

この「多感な思春期」のパターンの場合、

成長過程が「反抗期バージョン」とは異なるようです。

 

 

どう異なるのかというと、

あくまでも「感受性が高い」状態です。

だからネガティブに切れるのではなく、

 

・一つ一つのことに対して探究心が強く好奇心旺盛

・他の人が気づかないようなことに気づき感動する

・好奇心の赴くままに行動してしまいなかなか帰ってこない。どっかに行ってしまう

・本人にとって面白いと思えるものに没頭して周りのことが目に入らない

・なにか一つのことに集中できない

など、感受性が高く好奇心旺盛でやりたいことをどんどん見つけ、

普通の人とは違う行動をとるのが普通、という状態です。

なんとなく、突き抜けた人や天才的な活躍をされている方々とか、

カリスマ的な力を発揮されている方々、

こっちっぽくないですか?

 

周りから見ると、

言うことを聞かない、自分の好きなことばかりする子、

 

ですが、

 

別にネガティブな感情になって怒ったり切れたりはしません。

 

ただ興味をもった事に対して熱中するあまり、

周りの言葉が耳にはいらなくなったり、

「人と合わせなくちゃ駄目だよ」

といった価値観の人からすると自分勝手に見えるだけであったり、

そういったことのようです。

 

ちょっと話がそれている様に思いますが、

この2つのパターンについてもう少しだけ書かせて頂きますね。

 

 

上記2つのパターンであれば、

それぞれがどういう大人になっていきそうか、

ということです。

 

また、

なぜ「反抗期」のパターンでは、

怒る、親の言うことを否定する、場合によっては切れる、

といった反応をするのか。

またどういう風に育てられたからそういう風になるのか。

 

を考えると、

なんとなくつながるように感じます。

 

 

まだ何の基準も持たない子供のときに、

「否定された」

感覚を植え付けられたとしたら。。。

 

怖いですね。

 

自分は「否定されている存在」

としての自己認識をもってしまうとしたら。

 

怖いです。

 

 

逆に育つ段階で、

 

「否定」ではなくいつも「肯定」されていたとしたら。

 

なんとなく想像できますよね。

 

「自分はありのまま自分でいいんだ」

「別に自分は自分でOKだから人と比較しなくていいんだ」

(そもそも比較するということにいかないようです。

 もし比較するとしたら、

 昨日の自分とか理想とか尊敬する人とかと比較するようです)

「自分のやりたいことをやっていいんだ」

「みんなもそうだからそれでいい」

 

という自己認識をもつ育ち方をしていたとしたら。

わざわざ自己否定なんてしないでしょうし、

他者否定もする意味はないように思うのかもしれません。

(だから子育てでは、「褒めることさえ必要ないよ、子供を肯定できていれば、そのまま受け入れることができていれば、大丈夫、という先生もいらっしゃいました)

 

 

僕はそのほうが豊かだな〜と感じるので憧れてしまいます。

できればそういう風に感じられたら、とも思います。

 

 

でも私はおもいきり「反抗期」のパターンで育ちました。

十代の頃は切れやすく、

自分ですら「なんで自分はこんなに自分をおさえられないんだろう」

と思い悩んだくらいです。

 

そしてそのまま10代後半、20代、と。

 

当然のように「自己否定」のエネルギーを使いながら生きて来ました。

 

 

そんな私でも、

ある時期パターン2(「思春期側」)で育った方々に囲まれて生活していた時期もありました。

 

普通「類は友を呼ぶ」なのでそれは難しいことなのですが、

なぜそういう時期があったのか。

 

 

多分ですが、

自分自身がいい状態にあり「思春期側」で育った側のエネルギーを発していたのかも。

 

わかりませんが、

多分そうだと思います。

 

 

そう考えると、

「自分がどんな人達 と普段過ごすのか」

は自分の状態によることになると思います。

 

確かに育ちは「反抗期側」でした。

でもいつのまにか「類(友)」が変わっていました。

そして変わった側のほうが心地よく感じていました。

 

 

ということは私も少し昔とは違う状態になったのかもしれません。

つまり、

「完全無欠の自己否定」

の生き方から

「少しやさしい自己否定」

な生き方に緩むことができたのかもしれません。

 

 

とりとめなく書かせて頂きましたが、

今日のまとめとしては、

 

「自己否定側」で育ったとしても、

いつかひょっとしたら「自己肯定側」

で生活できるようになるかもしれない。

 

ということでしょうか。

 

 

わかりませんが、

「自己否定側」で生きること自体、

別に何か変える必要のないことなのかもしれません。

 

本当にわかりません。

これも禅問答のようですが、

「自己否定をしている自分を否定したら、それは自己否定になる」

「自己否定をしている自分をありのまま「それでいい」とすれば、自己を肯定する生き方になる。(でも自己否定をそのまま残すということは、やはり自己否定をしているんじゃないですか?)」

という風にも。

 

難しいですね。

 

本日も最後までお読み頂きありがとうございます。

感謝。

随分遅い時間に書いてしまったので、

思考の整理はできていないまま書かせて頂いたように思います。

読みづらい部分 が多々あったかと思いますが、

ご了承くださいませ。

 

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 このブログは、自己否定というものがキーワードになっています。自分で自分を責めていたり、否定していたり、ひいては他者批判になってしまったり、そんな縛りから自分を開放することができるのか?書くことがなにかの役に立てば、そんな思いで日々記録していくつもりです。

ZiHiKiSha

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