自己否定の特徴5 #劣等感
自己否定をテーマにしてきましたが、やばいことに気がついてしまいました。
実は、人生で起きているかなりの問題と、 自己否定というのがつながっている。
ということがわかったというか、そのようです。
例えば人間関係。
人間関係がうまくいかない最大の理由は、他者と自分を比較してしまうから。 そして比較したときに勝つか負けるかと言うものを生み出してしまうから。勝っても地獄だし負けても地獄なんですね。
勝った場合、相手を負かしたことになります。相手は負かされたと言うことで承認欲が奪われます。あなたに対して劣等感を抱きます。
そこには上下が生まれ、相手があなたに依存するか、敵対するのかのいずれかになります。
依存してきた場合に起きるのは、自分の承認欲を満たすことに喜びを感じ、さらに相手を負かそうとする、または隷属させようとするという上下関係づくりになります。
相手が敵対した場合。
どうやって相手を負かそうかという議論、または相手の欠点を見つけ指摘する、指摘しない場合は心のなかでほくそ笑みます。
ではどうして比較するのか、どうして勝ち負けが起きるのか。
人は勝つ目的は自分が欲しい何かを得るためですよね。スポーツであれば勝つことによって賞金を得られるかもしれませんが、一番得ることができるのは達成感であったり、自尊心ですよね。
もちろんそれがいいとか悪いとかでは無いですし、卓越した精神の持ち主の方々の場合は少し普通の人とは違ってきます。
ここではどちらかと言うと普通の人についての話です。ただ普通の人といってもほとんどの人はそっち側だと思います。世界のスポーツのテニスでも、なんでもそうかもしれませんがトップに立つ方々と言うのは、その他99%の人とは違ったメンタルを持っていると思います。
ほとんどのいわゆる普通の人、普通のメンタルの人と言うのは自分の承認欲を満たしたいと言う欲を持っています。
それはいたって普通のことで、当たり前のことです。だから否定はしません。私もめちゃくちゃ承認欲と言うものを満たしたくて満たしたくていろんなことをやってきました。
でも、承認欲が生み出しているものと言うものがあって、それが問題を生み出しているわけです。
何を見出しているかと言うと、劣等感です。
この劣等感が多くの問題を生み出しています。自分が承認されたいと言う気持ちが全くなければ別に比較することもないですし、勝ち負けも求めないでしょう。
自分を尊敬できて尊重できて、周りの人たちもみんな尊敬できたり尊重できたりしていて、承認されたいと言う気持ちがなければみんな平和に過ごしていると思います。他の人よりもお金を持ってよーとか必要する必要もないですし、他の人よりも かっこいい車に乗らなくてはいけないと言うこともなくなりますし、他の人よりも他の人よりもなんて言う事は考えなくてもいいわけです。または、他の人からどう見られるかなと言うことも気にしなくていいわけです。
実は劣等感には2つありますよ。
今お話ししたように、もっといい車に乗ってもっといろんな人から注目されたいとか、会社を作って大成功してみんなから褒められたい、場合によってはお金や地位や立場などによって何かしら社会的な価値を得ることで承認を満たしたり、そのために相手を蹴落としたり批判したり、という劣等感の満たし方、または解消の仕方というのがあります。
逆に、そうやって人前に出るとか、成功を覚めるとかではなくて、どちらかと言うとおとなしく静かにしておいて、人からさらに承認欲を奪われることを避けることで解決しようとする人もいます。どちらかと言うと内にこもるタイプですね。
言い方を変えれば外交的であり、積極的であり、攻撃的な劣等感の満たし方。もう一つは、内向的であり、消極的であり、受け身な劣等感の満たし方です。
この2つのパターンのどちらも、もともとは劣等感が引き起こしています。
仕事でめちゃくちゃ成果を出して昇進するとか、会社を起こして事業を起こして成功を収めるとか、カリスマ的な立場に立つとか、頑張ってきたからには、なにかが原動力になっているわけですよね。じゃあ何が原動力なのか、そのほとんどは劣等感です。
よく、華々しく元気に大成功収めているようで、実際にはいろんな心の悩みであったりとか、問題を抱えていたりすることが多いと言うのはよく言われますよね。
私もうまくいってる時もあればうまくいってない時もあります。どちらにしても何かしらの問題を抱えていました。そして今思えば、相当必要以上に大きな問題だと思い込んでいました。
私は、積極的な解決の仕方と受け身な解決の仕方の両方を経験してきました。
積極的にチャレンジして、ある程度自分のも成功をおさめて、でも実は心の中では問題がくすぶっていたということもありました。その問題はいつのまにか大きく膨れ上がっていて、ある日次から次へと問題を引き起こしたりしました。
逆にめちゃくちゃ受け身な状態で元気な時に考えるとそんなに悩まなくてよかったよね、と言うようなことをものすごい生きるか死ぬかのような形相で悩んでいた時もありました。
そのどちらも原因になっていたのが劣等感です。
またはコンプレックスとも言うかもしれません。もっと言えば劣等感と言うものがいろんな問題につながり複雑になっていたつまりコンプレックスですよね、そういう状態に膨らんでいったのかもしれません。
ただ劣等感と言うものがあるからこそ、たくさん勉強したり、たくさん経験してみたり、より成長しようと強くなろうとがんばってくることもできました。
ただ、もし劣等感が問題の原因になっていたと言うことに気がつくことができていなかったらと思うと少しぞっとします。いや、ずいぶんとぞっとします。
問題はもっともっと大きく膨らんでいくと思います。人間関係であったり、金銭面であったり、自分に対する厳しさであったり。
劣等感っていうのは結局自己否定から生まれるわけですよね。自分を否定していて、自分はだめな人間なんだ、自分なんて、と言う劣等感なわけです。
そして劣等感を持ち続けて生きていくと言うのは嫌ですから、私もそうだったし人は皆それを埋め合わせしようとするわけです。
その結果、いつの間にか完璧主義になったりもします。いつもいつも自分がやったことに対して、あそこが駄目だったこれが駄目だった、もっともっと良くしなきゃダメだと、自分を改善するところばかり見つけようとする。充分褒めてあげてもいいような結果を出していたり、頑張ったのに、その良いところを見つけてあげることができない、見つけてあげたとしても心がそれほど喜ばない、それよりも自分を否定する方が知らず知らず強くなって、結局今のままじゃダメなんだって思ってしまう。
完璧主義っていうのも、結局は劣等感から生まれます。
そして完璧主義っていうのは自分も苦しめるし、今度は他者にも向かってしまいます。
相手から、いつもなにかしら良くないよ、と指摘されたり、ありのままを受け入れてもらうことができないとか、褒めてもらうことができないとか、そういう風に見られていたらどうでしょうか。そういう相手と一緒にいて楽しいでしょうか。仕事だからとか、学校の友達だからとか、何かしらのつながりがあるからむげにはできないからとか、そうやって合わせてくれるけれども心の中では相手は淋しがっていたり、何か攻撃されていたり、何か否定されていたりそんな気持ちになっているかもしれません。
人によっては、そうやって人を否定的に見てしまっていたりすることに気づいて、それはやめようと自己改善に取り組む人もいるかもしれません。でもその時に結局また完璧主義が働いてしまうとどうなるかと言うと、いつもいつも人を否定してしまっている自分のことを自分で否定してしまうわけですよね。
そして自分が成長しようとして良いことをしているはずなのに、心の中では承認欲が全然満たされず、奪われていく。そして劣等感をより強化してしまうわけです。
この完璧主義と言うものも劣等感から生まれてしまい、自分も周りも傷つけてしまう。そして人間関係を壊してしまったりするわけですよね。だから、悪い人間では全然ないのに何故か人との距離感が縮まらないとか、人間関係がうまくいかないんだとか、 そういう時っていうのはひょっとしたら、自分の劣等感が邪魔をしているのかもしれません。
もちろん自分が悪いと言うことではなく、はっきり言ってしまえばあまり良い接し方をしてこないと思いますよね。それはどうしようもない時もあります。でも、もしその人と関わり続けなければいけない立場に自分を置いているのとしたら、それは自分がその立場にいると言う選択をしているのであり、自分が作った状況ではありますよね。という事は、ひょっとするとその人を目の前に呼び寄せたのは自分かもしれませんよね。
もし違った自分であったらばその人とは合わなかったり、特別関わりを持ち続ける必要もないかもしれないですよね。
だから環境の要因と言うものもものすごく重要だと思いますが、最終的にはその環境を作っているのは自分だと考えると、物事の解決も早いかもしれませんよね。
今日は音声入力で一気に話してみました。
動画で喋ったほうがいいような気もします。でも日々の記録としてブログも使わせてもらっています。
劣等感と言うのはたくさんの人が抱えていて、人生のいろんなところで問題を引き起こしてきます。ひょっとしたら劣等感というのがほとんどの問題の原因なんじゃないかなとも思います。自分の人生を振り返った場合で考えるとかなり当てはまります。
子供の頃から大人になって今に至るまでの間、たくさんのことを得てきたけれどもそれを失ってしまったり、過去起きた様々な問題とか障害とか壁とか悩みとか、ほとんどが自分の中の劣等感が起点になっていたように思います。
でもある日、この劣等感というのが自分の中にものすごく根付いていて、自分を否定し続けてきたことが、いろんな問題もできたし、逆に得たものもたくさんあったし、自分の人生にものすごいつながっていたことに気が付きました。その時にいろんなものの見え方や感じ方や捉え方が変わりました。
そしてその時に、心がものすごく穏やかになったことを覚えています。
また、その前とその後で同じ状況に遭遇した時、その状況に対する感じ方とか、人に対する感じ方とか、または自分の状態のコントロールというか、気持ちの持ちようというか、感じ方と言う物のコントロールも随分と上手になった気がしています。
もちろん全く劣等感がなくなったと言うわけではなく、全然日々感じています。今でも気がつけば今自分は劣等感雲ベースに反応していたなぁなんて言うことを自分で内観したりしています。
でもそれが、自分に対する否定ではなくなってきているような気もしています。以前であれば、自分の国は良くないなとか、これは街の下いけないなとか、ある意味完璧主義を求めて自分を否定しまくっていました。
その自分を否定することで、もっと良くならなくちゃいけない、と頑張ることもできたけれども、今思えば劣等感がエネルギー源であったので、「だからあんなに恵まれた状況だったのにそれを手放してしまったんだな」と、その手放してしまった理由がよくわかります。
まだまだお話ししたいことがたくさんありますが、長くなりましたので今日はこれぐらいにしておきたいと思います。
今日も最後まで読んでいただき本当にありがとうございます。
引き続き素敵な週末をお過ごしください。
ZiHiKiSha