らくメンタルの教科書

「ガラスめんたる」から「らく(楽)めんたる」へ。実体験を中心にまとめています。

行動できない9割の理由

行動できないのは、

「自分を後回しにしているから」

なんだよね。

 

行動ができないのは、

実は自分を後回しにしているからなんだよね、どういうことかと言うと自分をいつでも何でも優先して自分のやりたいことをやっているのであれば誰だってすぐ行動するよね。

 

でも、すぐに行動ができないと言う事は他に選択肢があってそれと比較して比べてどっちにしようかなぁって考えてしまったり悩んだりしてエネルギーが下がっていってしまうからなんだよね。

またはそもそも時間があっても、何かしなくちゃいけないと言う事は感じているんだけれども、でもこれをやろうと言うふうに思えないで、結局のんびりと時間を過ごしていくだけになってしまったりとか、と言うこともあるかもしれない。そのどっちも理由は 自分は後回しにしてるからなんだよね。

 

なんで後回しにするのか。そういった思考が勝手に働いてしまうのか。それは子供の頃「我慢しなさいとか、待っていなさいとか、おとなしくしなさいとか、わがまま言うんじゃありませんとか」そういったことをたくさん大人から言われたからかもしれないし。

 

または学校で「決められた通りにしなさい、先生の話をちゃんと聞きなさい、教えたことを守りなさい、順番を守りなさい、友達を優先してあげなさい」といったことを言われた人もいるとおもう。

そういうことを何度も何度も言われ続けると、子供は洗脳されていくんです。染み込んでいくんです。

 

なぜかといえば、子供はまだまだ弱いから。

 

親の言うことを聞かないで怒られたことってありますか?ない人もたまにはいるけど、ほとんどの人は怒られたんじゃないかな。

 

先生から叱られたことはありませんか?少なくとも誰かが叱られているのを見たことはあるんじゃないかな。

 

子供は親の言うことを聞かずに抵抗しつずけることは難しいです。子供にとっては唯一の帰る場所であり、親は唯一ご飯をたべさせてくれる存在です。

その親から突き放されることが子供にとってどれほど恐ろしいことでしょうか。

無意識に子供はその恐怖によって従うようになります。そして従うことになれていきます。それが親子だから当然の行動のように見えて、実はその本当の理由は恐怖なんです。

 

そういう子供っていうのは親にご飯を食べさせてもらったことにたいして感謝しづらいです。恐怖によって動かされただけですから。

 

そしてもう一つ植え付けられるのが「劣等感」です。

自分の思うようにとった行動は否定される。それが唯一自分の頼るべき存在である親から。親はよかれとおもって色々とこどもに言います。(親が色々言う理由も色々ですが、ここではそうしておきます)

 

色々言われるたびに子供は「自分の行動を修正する。否定し改善する」ということを強いられ続けます。

 

それでも「自分は正しいんだ。大丈夫なんだ」と思い続けられる子供って、10人いたら何人いるかな。

 

私は少なくとも思えない方に入りました。

そして劣等感を抱えることになりました。

そしてそれが人生に大きな影響を与えました。

 

 

話はもどして、そうやって育つと「行動できない」大人になります。外部からやることを与えられなければ。これは自分で行きたいように生きようと思っても大きな障害になります。

 

例えばそういう人は、

スケジュールに自分のやりたいことを先に書き込むのが苦手。(仕事のスケジュールが先)

仕事でやるべきことがあれば、それを淡々とやることが出来る反面、それをちゃんとやらないと得体のしれない不安感に襲われ、仕事以外の時間を使ってでもやったりします。

 

社会に出て会社に勤めたりすると、「会社を優先しろ、仕事の時間は仕事を最優先しろ」と他の誰か、何かを優先することを強いられます。
 
強いてくる人達も、もともとは知らないうちにそういうことを強いられて、それが当たり前だと思うようになっています。強いることが正しいとおもっているし、自分がそうやって我慢してきたから、人にも我慢させないと割に合わないと思っているかもしれません。
 
そういう環境にいてしまうと、ずっと強いられる生き方を植え付けられていきます。
 
だから。
どこかで「自分を優先していい」「恐怖や恐れよりも幸せかどうかで考える」と切り替えていかないと、そのまま地獄。そして、恐怖の連鎖が続いてしまいます。悲しみの連鎖です。悲しみの連鎖を断ち切り、いつかどこかでこういった流れを断ち切らないとずっと苦しいままです。
 
みなさんは自分を後回しにしてしまうことってありませんか?
「自分なんて」と自分を低くみてしまうことってありませんか?
その根底にあるのは劣等感であり、恐怖です。
そしてそれが自分で自分を制限させてしまったり、自分を否定させます。
 
それではエネルギー高く行動し続けるなんて難しいですよね。
 
自分を後回しになんてしなくていいと思います。
自分を優先していいと思います。
(自己中になろう、というのとはもちろん違います)
自分を大切にしていいと思います。
 
甘やかして上げながら、
自分に厳しくしてあげるといいと思います。
 
私は甘やかすほうが大好きなので、気をつけるようにはしていますが、やっぱり甘やかしてしまいます。
 
でも、
「それって本当に自分を犠牲にしてまで、自分に厳しくしてまでやること?」ということについ力を全部注いでしまっていたので、一旦甘やかすのもありかなとも思います。
 
 
話変わって、このブログを書くようになって、さらに気づいたことを最後に書いておきますね。
 
僕が自分と向き合ったり、心というものを見つめ続けてきた理由は、「自然に生きていく」
ことが目的だったのかな〜と。
 
硬い言葉でいえば「自己否定」
馴染みやすい表現だと「劣等感」
心理学的にいれば「承認欲求」
というものが僕達の影で影響していて、
それが自己重要感を満たすために、目立ちたいとか、特別でありたいとかの行動に繋がり、
他者を否定したり攻撃することで自分を欲を満たしたり、人に勝つことで安心したり、格好つけたり、
そんな行動につながっててそれって「自然じゃないよね?」と思うんです。
で僕もがっつりそういう生き方をしてきました。
でもいつもどこかで無理をしていたんです。
 
誰かに勝つとか、正しくいたいとか、人間としてもっと成長したいとか、一見よさそうなことなんだけど何か自然ではない。
自分のなかの何かを隠していたり、見ないようにしていたり、違和感を感じても「正しいのはこっちでしょ」と無理やり自分を納得させたりしていました。
 
ながいこと自分で自分を作っていたように思います。
決してその自分が嫌いというわけではありません。いいところもあれば、あれ?と思うところもあります。でもその時の自分にとっては「そ〜だよね。必要だったんだよね」ということだったんだと思います。
 
そういうことを通して「自然体」という自分に向かうことができるようになったんだと思います。
そして「自然体」の自分がもっと引き出されていったらどんな生き方ができるようになるのかがとても楽しみです。まだまだ楽しいことが沢山ありそうです。
 
 
今回も最後まで読んでいただき本当にありがとうございます。
少しでも何かの役に立てればと思います。
 
劣等感や自己否定の連鎖を断ち切り、
豊かに生きていきましょう。
 
ZiHiKiSha