らくメンタルの教科書

「ガラスめんたる」から「らく(楽)めんたる」へ。実体験を中心にまとめています。

「言われたことをちゃんとやれば褒められる」の罠

子供の頃こんなことありませんでしたか?

 

「○○くんはいい子だね〜。ちゃんと言うことを聞いて」

「〇〇くんは賢いね〜。それ教わったの?ちゃんとできてるね〜」

 

という大人からの殺し文句。

 

 

察しのいい方はお気づきだと思います。

この褒め方はまさしく殺し文句です。

2つの意味で。

 

 

1つは、

 

言われた子供は喜ぶことでしょう。

言ってくれた人は、いい人だと思う可能性が高い。

 

そして子供も人ですから、

あまねく承認欲を持っています。

 

だから

言われたことをちゃんとしているところを見せれば、

褒められる

という方程式を学びます。

 

 

ではその子供はどうしますか?

 

 

また

 

褒められるために、

言われたことをちゃんとやる姿を見せようとします。

 

 

 

さてこれを繰り返していくと、

どんなおとなになるでしょう?

 

 

 

言われたことをちゃんとやると褒められる

の逆は何でしょうか。

 

 

言われたことをちゃんとやらないと、

どうなりますか?

褒められませんよね。

ましてや叱られたり嫌われたり。

 

という風にその人には見えることでしょう。

 

 

つまり

「○○くんはいい子だね〜。ちゃんと言うことを聞いて」

言い方を変えると、

「言われたことをちゃんとやったところを見せたら褒められる」

 

 

という主従関係のようなものが生まれます。

 

 

ある意味、

 

褒められることで承認欲を満たせる。

逆にそれをしないと満たされないで嫌な気持ちになる。

 

 

だから、

おとなになって仕事をするようになった時に危険なんです。

 

 

極端かもしれませんが、

 

 

その人にとっての成果は、

結果を本当に出すかどうか以上に、

「その指示を出した人の言ったことをちゃんとやり、

そして褒められるかどうか」

 

 

に無意識になっている恐れがある。

 

ということです。

 

 

怖いですね〜〜。

これでは本当の意味で力を発揮したり、

仕事の本来の幸せなんて得られそうにありません。

 

 

 

本当は(言い方は悪いかもしれませんが)、

 

会社の上司って一生自分の面倒見てくれるような、

超人望のある人間味豊かな人、

とは限らないですよね。

 

 

ましてやそれを他人に求めることが既に、

自主性低いですし、

 

もしそれを望むのであれば、

自分の人間力が先ですよね。

 

 

自分に人間力がしっかりとそなわっていれば、

「こいつとは心中してもいいぞ!」

くらいで上司も一緒になって戦ってくれると思います。

 

 

もしそこまでしていないのに、

一方的に「上司は冷たい」とか言うのは、

お門違いだと私は思います。

私ができているかは別です。もちろん。

 

 

話を戻すと、

 

1つ目の意味での「殺し文句」

 

それは、

大人は良かれと思ってこどもを褒めたつもりが、

実は、

褒める人の目を気にする

 

 

というその人にとっての牢獄を作ってしまう。

 

 

こう表現するとわかりやすいかもしれませんが、

かなりその人の人生を制限してしまったり、

自由を奪ってしまう、

 

まさに「殺し」文句になってしまう恐れがあるということです。

 

 

 

そして2つめです。

 

 

少し表現を変えると

わかりやすいかもしれませんので、

言い換えます。

「ちゃんとできてるね」

の反対側からの言い方です。

 

 

「人様に迷惑はかけちゃだめだよ」

 

 

ちゃんと生きなさいね。

それであればなんでもいいよ。

 

でも「迷惑はかけちゃだめだよ」

 

 

実はこのことについて、

最初の頃の日記でも書きましたが、

 

 

「迷惑をかけないようにね」

 

 

って本当に危険な殺し文句になると思います。

 

 

 

そもそも「迷惑」ってなんだろう。

 

 

そして「相手が迷惑と思っている」かどうかは、

どうしたらわかるんだろう。

 

 

また、あなたが「迷惑かけたな〜」

と思った相手は全員「迷惑を受けた」

と思っているのか。それは本当なのか。

 

 

もっといいますと、

「迷惑かけたな〜」

と思っているのは自分ですよね。

それを相手に投影しているだけの可能性もある。

 

 

なぜなら、

自分が誰かに何かをされて「迷惑」

と感じたことに対して、

その人は他人も「そのことに対して迷惑と感じている」

と推察できる。

はずですよね?

 

 

小難しい書き方になってしまいましたが、

「自分がこういうときに迷惑と感じた」

という経験がなければ。

 

 

誰々さんが△△をした=迷惑

 

という方程式が成り立ちません。

 

 

人によってはひょっとしたら、

 

誰々さんが△△をした=ありがたいこと

 

という風に感じているかもしれません。

 

 

 

つまり、

そもそも「迷惑かけたかどうか」

自体が怪しいし幻想かもしれない。

 

 

自分が勝手に、

「こういうことは迷惑だ、と感じる」

という方程式を持っていて、

それを場面場面で適用してるだけの可能性があるわけです。

 

 

なのに

「迷惑だけはかけちゃ駄目だよ」

と教わってしまう。

 

 

そして何が迷惑なのか実は教えた方もよくわかっていない。

 

 

だから教わった方は、

よくわからないまま

「迷惑かけちゃいけないんだ」

という牢獄に入ってしまう。

 

 

これもまたかなり制限をつくってしまいます。

 

 

この「迷惑をかけちゃいけない」

と「教わったことをちゃんとしたら褒められう。逆だと嫌われる」

 

が合体した人生ってどうですか?

 

 

鳥肌が立ちますね。

 

 

どれだけ得体のしれないものに振り回されてしまうのか。

 

 

得体のしれない束縛に制限されたり

怯えたりしなくてはいけないのか。

 

 

 

私がこれを書いているのも、

自分自身かなりはまっていたな〜。

と感じたことがあるからです。

 

 

最近はかなり自己観察をしつつ、

なぜいま自分がこの環境や状況なのか。

 

 

を言葉にしています。

 

 

そして逆に本来心がもとめる日常を送るために、

いろいろと試しています。

 

 

とくに言葉については、

毎日なにかしら書き換えています。

 

 

人によってタイプも違うかもしれませんが、

私の場合はかなり言葉を使うのでそうしています。

 

 

 

もし自分の人生、

どんな言葉が影響しているんだろう?

 

 

と感じたら、

今日頭の中で使った言葉

を思い出して書き出してみるといいかもしれません。

 

 

 

ネガティブな感じだったものと、

ポジティブな感じだったものと両方がいいと思います。

 

 

 

ネガティブな方だけだと、

そのネガティブな状況をまた作るエネルギー

になるだけで終わってしまう恐れが。

 

 

でも多分ですが、

書き出しているうちにいつの間にか、

感じ方がかわってくると思いますよ。

 

 

使っている言葉はネガティブでも、

気持ちはそんなに引きづられていないとか。

またはポジティブな方が増えるとか。

 

 

私もこのワークはやっています。

 

 

それでは、

きょうもありがとうございました。

 

 

もしご自身を制限している言葉が出てきたら、

書き出すことをおすすめします。

 

 

ZiHiKiSha〜