らくメンタルの教科書

「ガラスめんたる」から「らく(楽)めんたる」へ。実体験を中心にまとめています。

単純だけど恐ろしい現実(かも)

こんばんは。随分遅い時間に書いています。

12時には寝ていたいので、

だいぶ起き過ごしています。

 

ですのでメモしておいたことを中心にサクッと

書きます。

 

はやぶさ2号とか宇宙ネタがあったりして、

ふと思い出すのが、

「新聞紙を42回折ったらどれくらい高く積み上がるのか」

や、

「40wの電球の光は全部集めてあげたらどこまで光り輝くのか」

といった説。

 

 

ものごとを続けること、

場合によっては福利のインパクト、

を伝える際に使われる例えです。

 

 

答えご存知ですか?

 

 

新聞紙は0.08mm〜0.09mmだそうです。

どちらの設定でもいいのですが、

新聞紙をいっか〜〜い、にか〜〜〜い、

とどこかで聞いた怪談のように折っていきます。

(怪談の部分ついては世代でわからない方もいると思いますがご了承下さい)

 

そして、

それを何回くらいおると、

どれくらいの厚みになるのか?

 

という話です。

 

計算しやすくするために、

(私が計算得意ではない方なのでシンプル化します)

 

新聞紙の暑さを0.08mmとか0.09mmとか、

計算が大変そうなのはやめて、

0.1mmとします。

 

では一回折ると重なった新聞紙の厚さはどうなりますか?

 

 

当然、0.2mmですね。

 

 

もう一回折ってみます(2回め)。

 

0.4mmですね。

 

もう一回折ってみます(3回目)。

 

0.8mm ですね。

 

なんだ、全然話進まなそうじゃん。

というのがここらへんの印象です。

では次いってみよーーー。

 

もう一回折ります(4回目)。

 

1.6mmですね。

 

単位が変わりました。

 

5回め折ります。

 

3.2mmです。

 

6回目では、6.4mm。

 

7回目では、12.8mm(1センチと2.8mm)

単位がまた変わりました。

 

8回目では。25.6mm(2センチと5.6mm)

少し数字の変わり方にインパクトが出始めてきませんか?

 

9回目では。31.2mmですね。

10回目では、62.4mm。

11回目では。124.8mm(12センチを超えました)

12回目。249.6mm

13回目。499.2mm

14回目。998.4mm=約99センチ。

15回目。1,996.8mm=約199センチ。

16回目。3.993,6mm=約400センチ。=約4メートルです。

 

すごくないですか。

0.1mmから始まったのが、

わずか16回ですでに4メートルです。

数字上は当たり前なのかもしれませんが、

改めて書いていくと、

なにか狐につままれたような、そんな感覚です。

 

こうやって新聞紙を折り続けるとどうなるでしょうか。

 

次の17回目では約8メートル。

18回目では約16メートル。

19回目では約32メートル。

20回目で約64メートル。

21回目で約128メートル。

22回目:約256メートル。

23回目:約512メートル。

24回目:約1,024メートル(1km超え)

25回目;約2,048メートル。

26回目:約4,096メートル。(富士を超えました)

27回目:約8,192メートル。

28回目:約16,384メートル(16km超え)

28回で、新聞紙の厚みが16km超えてしまいます。

 

29回目:32.768m

30回目:65,536m(65Km)

31回目:131,072m(131Km)

32回目:262,144m(262Km)

33回目:524,288m(524km)

34回目:1,048,576m(約1048Km)

35回目:2,097,152m

36回目:4,194,304m(約4,194km)

 

と計算していくと、

42回目で月までの距離をサクッと超えていきます。

(地球から月まではざっと38万キロほどです)

 

数字が大きくなっていくインパクトも面白いのですが、

私達の脳(だけではなさそうですが)の働きを考えた時に、

この複利の法則というか、

陪乗していくことの力強さというものも

大事なんじゃないかと思うのです。

 

 

どういうことかというと、

私達がなにかの状況で、

「こういうことって大事だよね」

「だからこうしよう」

と何かしらの基準をベースに判断し行動を取ります。

 

では、

その判断のベースになっているものは何でしょうか。

 

様々なアプローチがありますが、

きょうは深くは突っ込みません。

 

 

私がなにげなく、

「これだけで人生は違うんだな」

と感じたアプローチはとてもシンプルです。

おバカなのでこれくらいがわかりやすいです。

 

 

それは、

 

「それは幸せになることなのか?」

「幸せになる選択なのか?それともちがうのか?」

 

とうベースです。

 

 

たったこれだけでどれくらい世界が変わるのか。

 

 

先程の新聞紙は「折る」なので単純に2倍の積み重ねです。

ところが私達は違います。

 

 

私達の場合ざっくりではありますが、

下記のようなサイクルが回っているのではないでしょうか。

 

 

状況に遭遇した時、

1)その状況ではどのような判断基準を適用するべきか?をとっさに無意識のレベルで研掃する。

2)それをもとに行動、発言などをしてみる。

3)その結果がどうなったのかを見る、聞く、感じる。

そして、

4)その経験をもとに良かったか悪かったかを判断してまた次の状況における行動に適用させる。

5)またその次の経験のときにも、培った判断をベースにまた判断して行動していく。

 

 

というサイクルを回すと思います。

 

とうことは。

最初の判断が最後の最後まで

また同じ状況の繰り返しだけではなく、

派生したあらたな状況でも、

人は全くゼロから考えるのではなく、

何かしらの経験をもとに分析し、解答を出し行動をします。

 

 

ということは、

私達が「判断する基準の最初につかっているもの」

によって、

ありとあらゆる時間で、選択で、影響を受けているということになります。

 

 

であれば、

私達が最初にどんな判断基準を使い、

状況に応じて検討しているのか?

 

つまり自分が何を基準に生きているのか?

 

を知らないということは、

 

知らずしらず、

先程の新聞紙が月に届くくらいの大きな影響を、

自分が意図的に使っているわけではない、

知らないうちに誰かに植え付けられてしまったかもしれない考え方によって、

影響を受けている恐れがあるわけです。

 

 

そう考えると、

それを野放しにしておいて本当にいいのか???

と思うわけです。

 

 

もちろん、

自分が根底で使っている判断基準が、

「幸せを増やす」

ものとして植え付けられていたのであれば、

それは親や環境に本当に感謝だと思います。

 

 

でもいろいろな調査や研究結果や、

現実社会を見渡したときにどうでしょうか。

 

 

「幸せを増やす」

側ではどうやらなさそうな人ってたくさんいそうじゃありませんか?

 

 

疲れた顔で朝を迎える大人、

子供本来の元気さを発揮しているだけなのに対応できずに切れる親、

職場ではポジティブな言葉よりネガティブな言葉の方が完全に多いのに、自分は救世主ばりに正しいと勘違いしている大人、

書いていくほどに色々でてきそうです。

 

 

きょうのポイントは、

人の頭の中の構造や働きは、

いい方に働くときは抜群であり、

悪い方に行くと止められないくらいの勢いとパワーで悪い方に引きづられていく。

 

 

それはなぜなのか?

と考えると先程の新聞紙の例のように、

定数的に脳や体の中では積み上がっていってしまうから。

 

そう考えるのが妥当なような気もします。

勉強不足なので捉え違いかしれませんが、

それがいわゆる「カルマ」のことなのかもしれません。

 

 

さて、

きょうはどんなことをベースに物事を選択しましたか??

 

それは、

幸せにつながる選択でしたか?

それともそうではなさそうな選択でしたか?

 

 

あしたはさらに良い一日を作り出していきましょう。

きょうもありがとうございました。

 

 

おやすみなさい

 

ZiHiKiSha〜